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阿佐田哲也麻雀本レビュー(小説以外)

阿佐田哲也前史の発見

大昔に出版された『色川武大vs阿佐田哲也』というムックに掲載されたもの。阿佐田哲也全著作レビューのうち、ぼくが書いた麻雀本レビューをアップします。

そこそこ手間がかかる仕事でしたけど、やりがいある仕事でもありました。

「絵本・マージャンABC」や「麻雀中級入門」などは、こんな本があったんだーと。超メジャー著者の場合でも、凡百の内容で、再版されず消えていくものもあるんだなと。

衝撃的だったのは「麻雀師渡世」です。阿佐田哲也にこんな前史があったとは!

阿佐田哲也が博打打ちだったのって若いうちだけなんですよね。あとは出版社でバイトしたり、売れない小説家志望でした。あまり売れなかった井上志摩夫(しまお)という時代劇専門のペンネームもありました。「井上志摩夫傑作時代小説集」全5巻が出ています。

麻雀モノも、阿佐田哲也として有名になる前は、無記名であったり、七対子というペンネームで書いています。戦術書の代表作『Aクラス麻雀』は、七対子というペンネームで「サラリーマン麻雀実戦訓」という題名で「週刊大衆」に連載したものです。

スパッとデビューしてるわけじゃないんですよね。長い長い売れない前史があって、売文稼業をいっぱいやってます。

自筆の年譜には、32歳のときに「変名で売文するのが空しくなり、不意に廃業」とありますし、39歳のときには「入院費を稼ぐつもりで、禁を破り、変名”阿佐田哲也”で原稿料の高い週刊誌に麻雀小説を書く」とあります。

売文稼業をやった中には、後の麻雀小説と似たものもあって、それを磨いたものが、後に阿佐田哲也名で大好評を博す小説になったのでした。その習作が「麻雀師渡世」という本になっていたのです。この事実って、あまり知られてないんじゃないかなあ。

作家になって魂が浄化されるロールモデルとして

30代のときに「この漫画がすごい!」みたいな本の仕事で、AV監督と知り合って友だちになったんですよ。二村ヒトシさんという人。けっこう有名な人でした。

彼に聞いてみたんですよ。今はAV監督なわけだけど、後に映画監督になりたいみたいな野心はあるのかって。

彼の返事は「まったくない」でした。エロいことが好きすぎてこの仕事に就いたので、AV監督が映画監督になるための通過点であるという意識はまったくないと。

ぼくもそうなんですよね。麻雀が好きすぎて麻雀ライターになったから、いずれ小説家になって芥川賞を取ろうみたいな野望はまったくないんですよ。

でも、上の世代は違います。昔の物書きって、すべては小説家になるための過程です。物書きすごろくのゴールは小説家だって意識が上の世代には厳然とあります。文学という言葉に意味があった時代の感覚だと思います。

阿佐田さんがそのロールモデル。

阿佐田さんの系譜に伊集院静さんがいて、その弟子筋にMリーガーの前原雄大さんがいます。

前原さんは最近は物書き志望って感じじゃなくなってますけど、しばらく前は物書き志望っぽい感じでした。荒正義さんもそうですよね。荒さんは阿佐田さんの系譜でもないですけど。

前原さんは麻雀ノンフィクションとか漫画原作とか、いっぱい書いてました。

昔の博打打ちにはそういうのあるんですよ。若いうちは博打三昧だけど、年を取ったら小説家になって、作品を書くことで魂が浄化され、若いころの悪行が救済されるという。

博打の世界って、言ってしまうなら小汚い世界です。みみっちい金の取り合いですよ。そこで悪行を重ねてきた人には、こうすれば救われるって信仰がほしいんですよね。間接的に人を殺してきてるから。

そのモデルとなったのが阿佐田さんです。

前原さんはMリーガーになることで魂は浄化されたんでしょうか? なんか最近は物書きよりも、麻雀プロとしてどう生きるかの方向に向かってる感じがします。

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Aクラス麻雀


原題『麻雀の推理』(双葉社69年2月、双葉文庫89年10月)

燦然と輝く麻雀戦術書の金字塔。
基本的な十章、手作りの為の十章、攻めの十章、守りの十章、読みの十章という五部構成となっており、「麻雀とは何であるか」が結論として加えられている。
一般に麻雀の戦術書は実用書であるため、読み物としてのおもしろさではランクが落ちざるをえない。
だが、本書は各論から抜け出して、麻雀を打つという行為をひとつの大きな謎に作り変えており、どんなレベルの麻雀ファンでも本書を読み進むにしたがって、麻雀について考え込み哲学してしまう。
本書の主張するところは、麻雀とは運を奪い合うゲームであり、技術とは運をあやつる技術であるということ。いかに自分のイメージを増大して相手を守勢に追い込み、運を奪いとっていけばいいのか説明されている。
いつの日か麻雀から金を賭ける習慣が失われ、運という概念から解き放たれるまで、本書が輝きを失うことはないだろう。

これは中3か高1で初めて読んだときから何度となくくり返して読んだ本です。でも、今回この記事のためにAmazonで検索したら、だいぶ前からまったく売れないみたいで、1989年に出たやつが最後だとわかってションボリしました。まぁしょうがないすね。

レビューの最後に「いつの日か麻雀から金を賭ける習慣が失われ、運という概念から解き放たれるまで、本書が輝きを失うことはないだろう」と書いてますけど、この書き方からして、これを書いた2003年に、すでにその時代が終わりつつあることを感じてたんですよね。

絵本・マージャンABC 


(実業之日本社71年6月)

大きなイラストが入り、その隙間に字が入っている麻雀の入門書。
1ハン縛りの説明文の横に赤毛のアン風の少女が縛られているイラストが載っていたりする。
イラストは大きめで、たとえば1本が15センチメートルほどある点棒が描かれている。
類書よりも心配りが細やかで、麻雀するのに必要な道具として、パイや点棒はもちろん、コタツや座椅子、さらにはポットやフルーツまで描かれている。
副題に「女性初心者のための麻雀入門」とあるように男性はお呼びでない。
マナーのひとつにミニスカートをやめることとあったり、麻雀を打つときの心がけとして、「カレーのように見える手でも、ばあいによってはじっくりと時間をかけ、シチューに作りなおすことが必要なのです」と、料理に絡めた説明がなされている(カレーはシチューの一種ではないのだろうか?)。
なお阿佐田は名前だけのようで、実際に本文を書いているとは思えない。

これは国会図書館に行ってようやく現物を見ることができました。女性向けというターゲットが失敗してる(あえて狭い層を狙う必要がない)ので、当時もたいして売れなかったんじゃないかなー。

麻雀師渡世 


(日本文芸社71年9月)

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これはどういう経緯で出た本なのだろう? なんとも想像を刺激されてしまう。
というのも阿佐田による麻雀小説の種本といっていい内容なのである。
たとえば「麻雀放浪記・青春編」のオックスクラブで天和をあがるシーン。牌姿も同じで、北をカンするところも一緒。それが体験談として語られている。
また「茶木先生、雀荘に死す」とそっくりな話が「南郷元准尉・雀荘に戦死す」として載っている。
小説ではなく、あくまで体験談を語った実録モノの体裁だ。
発売されたのは阿佐田哲也がブレイクした後の昭和46年のことだから、おそらく阿佐田が麻雀小説を書く前に、別のペンネームでどこかの雑誌に連載していた文章を、「麻雀放浪記」のヒットを見て日本文芸社がかき集めたのではなかろうか。
再版されていないところを見ても、後に抹消された前史ではないかと思われる。
阿佐田哲也もライターから作家へと出世すごろくを上がった存在だったのだ。

上に書いたように、これは衝撃的な本でした。この仕事を通じて知ったんですよね。ヤフオクに多少は出るみたいで、今も古本市場では細々と流通してるみたいです。

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