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努力賞が重要なゲームって、やる意味あるのか?

一昨年の夜から昨日の朝にかけてのアドゲーで大敗し、昨日の日中は廃人と化して、更新をさぼってしまいました。申し訳ありませんでした。
気を取り直して更新しますが、まだ半廃人なので短いです。

アプリでバックギャモンの対人対戦を毎日やってる。

R(レーティング)が高い上位者とよく当たる。ずっと勝ちまくってるから上位者とマッチングされてるんだな、さすが俺!と最初は思っていた。しかし、そういうわけではなさそうだと気づいてきた。

なんかね、勝ったときの増加分と負けたときの減少分がものすごく不均衡。勝つと20増えて、負けるとプラマイゼロみたいなことが多い。最初は、相手が上位者だから?と思ってたけど、下位者と当たっても構造は基本一緒だ。

どうやら、このRは実力を正当に評価しようというシステムじゃないらしい。プレイする回数も重要というか、回数こそが一番重要なシステムになっている。負けはほとんどカウントされず、勝ったときのポイントだけ積み重なっていくから。

ランキングはRのみで、勝率などの部門はなし。

まあビジネスとして考えるとそうだよね。ユーザーを増やし、同時に滞在時間も増やし、いっぱい広告を見せるのが、アプリ運営会社の目的だ。ユーザーによりいっぱい打たせる仕組みを作るのがビジネスってもんだろう。

実力の正当な評価なんて、バックギャモンマニアじゃなかったら考えないんだろうね。ビジネスと競技って相性が良くないわ。

つーことは、このアプリで1位になったとしても、それは自分の実力をまったく保証してくれないことになる。これって、やる意味あんのかね?(;^ω^)

こういうのをやると、天鳳の特異な性格を改めて感じるわ。競技マニアかよ?という厳格すぎる段位システム。仕事後に娯楽としてやろうという社会人には厳しすぎる世界だが、やはり信用できるよなーとも思う。

打てば打つほど有利なものって、実社会的なもの(金が絡む世界、たとえばクレカとか)は別として、娯楽として意味あるのかなあ? 自己満のために回数を競争をするって、その構造自体が馬鹿馬鹿しい。

見やすい、操作性が楽という長所はあるんだが、この生ぬるい世界から、もっと厳しい冷酷な世界に移行したいわ。「みなさんの自己満のお手伝いをしますよ」という設計自体が嫌だ。

といいつつも、新しいアプリ発見のための捜索の旅に出るのも、えらく面倒ではある(;'∀')


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しょぼくれ中年ダイアリー

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本業は麻雀ライターの、麻雀以外の日々のエッセイです。出版、本、漫画についての話が少し多めです。

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