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【中学受験・高校受験】国語の問題(漢字・長文読解・作文):小学校高学年~中学生向け

はじめに

はじめまして。福地暁といいます。塾・家庭教師に15年以上たずさわり、その間、3000組以上のご家庭に学習支援を行ってきました。

お子様の「国語の読解力」にご不安を感じてらっしゃいませんか?

最近の中学入試・高校入試では、「小学生や中学生になじみのないテーマ」の長文が頻出です。テクニックだけでは解きづらくしているのです。こうした長文を読むには、「誰」「いつ」「どこ」「なぜ」といった情報を得ながら読む力が必要です。

しかも、ご存じの方も多いかもしれませんが、記述問題の出題割合が高くなってきているうえに、公立中高一貫校や高校入試では作文が必須です。「読む」だけでなく、「自分に置きかえて考える」「書く」力が求められています。

そこで初見の文章を読みやすくなるように2ステップの読解トレーニングと、その文章をもとにした作文問題を1題用意しました。

演習の順番

下記の順に演習をしてみてください。

漢字の勉強

文章読解

文章内容の理解チェック

解答・解説を確認

同じ文章をもう一度読解

難易度をあげた問題演習

解答・解説を確認

作文

難しい漢字にはルビをふっています。中学受験・高校受験対策として使えるように、難解すぎない程度に大人が使う語彙を用いるようにしています。
また、本文中のすべての段落に段落番号をふっています。解答・解説をチェックするときに見やすくしています。

問題に正解することも大切ですが、まずは文章をじっくり読んで、「いつ」「誰」「何」を意識しながら読めるように練習してみてください

最後に、文章を読んで「自分ならどうするか」をテーマにした作文を用意しています。「なぜ?」「どうすればいい?」を考えて書く練習です。

中学受験でも高校受験でも作文や数十字程度の記述問題はほぼ必ず出てきます。200字程度の文章を書くのに慣れるようにしておきましょう。

【国語の問題】

これから同じ文章を2回出します。1回目、2回目ともに問題も出しています。
1回目の問題はその文章全体について聞いており、2回目の問題は1回目より少しくわしく聞いています。

下に書いている順番で問題を解いてみてください。
①漢字を覚える
②文章を読む
③1回目の問題を解いて、大まかに文章の内容を理解する
④文章を読む
⑤2回目の問題を解く
難しい漢字には読み仮名を書いていますが、読み仮名なしに漢字を読めると、文章も読みやすくなります。まず漢字を覚えてから文章を読むようにしましょう。
また、固有名詞(人や物の名前)については、漢字のまま覚えてほしいので、あえて漢字で書いています。

[漢字の問題]

次の漢字の読み仮名をかきましょう。

(1)口数が少ない
(2)昇進する
(3)一躍
(4)混乱を収束させる
(5)強固にする
(6)外国に遠征する
(7)四面楚歌
(8)肝心
(9)幽閉される
(10)登板する
(11)過半数
(12)選出される
(13)確定する
(14)情勢
(15)収束
(16)かしい
(17)歓迎
(18)側近
(19)える
(20)重用

[漢字の解答]

(1)口数が少ない:くちかず
(2)昇進する:しょうしん
(3)一躍:いちやく
(4)混乱を収束させる:しゅうそく
(5)強固にする:きょうこ
(6)外国に遠征する:えんせい
(7)四面楚歌:しめんそか
(8)肝心:かんじん
(9)幽閉される:ゆうへい
(10)登板する:とうばん
(11)過半数:かはんすう
(12)選出される:せんしゅつ
(13)確定する:かくてい
(14)情勢:じょうせい
(15)収束:しゅうそく
(16)かしい:かがやか
(17)歓迎:かんげい
(18)側近:そっきん
(19)える:おとろ
(20)重用:ちょうよう

[長文読解:1回目]

①ナポレオンという人について紹介します。ナポレオンは1769年に生まれ、1821年に亡くなったフランスの軍人でした。クーデターを起こして皇帝にまでのぼりつめた人です。

②成り上がり貴族の家に生まれたナポレオンは、幼少期は口数の少ない読書家で、友人も少なかったそうです。身近に起こっていたフランス革命にあまり興味を持たず、出身地のコルシカ島によく帰っていたそうです。革命の混乱のなかでナポレオンの上司たちが国外に亡命していなくなったこともあり、幸運にも大尉(たいい)に昇進しました。大尉というのは、今でいうと課長くらいです。

③運よく昇進したナポレオンですが、この頃から作戦計画を立てたり、戦場での味方の指揮ですばらしい才能を発揮しはじめます。ほかの軍人が苦戦していた戦場で何度もあざやかに勝利してみせ、24歳で少将(事業部長ぐらい)に昇進しました。

④劇的な勝利を重ねたことで、一躍英雄としてフランス国民から熱狂的な支持を得るようになります。さらに、処刑された将軍の元妻と政略結婚するなどして政治的地位を高めることにも成功しました。

⑤1798年11月、フランス政府が革命で弱体化したのをみて、ナポレオンはクーデターを起こしてフランス政府のトップに就きます。弱冠(じゃっかん)29歳でした。ここから独裁政権をスタートさせます。

⑥ただし、何もかも順調だったわけではありません。当時のヨーロッパは王族や貴族といった身分の高い人たちがそれ以外の人たちを支配する時代でした。フランスではこうした身分制度を破壊して自由で平等な社会をつくろうとする動きが激しくなったため、多くの貴族が他国に亡命しました。

⑦フランス国内では王族や貴族による独裁体制が崩れましたが、その状況を見たヨーロッパ各国の王族や貴族が「自分たちの国にもこの運動が波及(はきゅう)してくるのでは」と危機感をいだきます。フランスから亡命していった貴族が外国政府をたきつけたこともあり、ヨーロッパ各国が協力してフランスの革命政府を倒そうとしました。

⑧ナポレオンはそうしたヨーロッパ各国との戦いにも勝ち、ヨーロッパで徐々に支配地を広げていました。指揮官として非常に優秀だったようです。

⑨一方、フランス国内では革命による混乱がつづいており、ナポレオンはその混乱を収束させるため民衆の希望に沿う政策をいくつも実行しました。例えば、学校の設置やフランス銀行の創設などです。このとき設置された学校は職業教育を中心に行なっており、今日まで続く高等教育のあり方の一つになりました。フランス銀行も、その後のフランス産業発展に大きく貢献しました。

⑩フランス革命により、フランス国内は「みんな自由で平等だ」という意識へと変わっていきました。こうした運動はフランスの支配下にあった外国でも広がりました。この運動の結果、ナポレオン皇帝が独裁的な権力を握る体制はゆらぎはじめます。何せ、「皇帝の言うことをみんな聞け」という政府の考え方に民衆がNoをつきつけた結果、ナポレオンは皇帝になれたのです。ところがそのナポレオンが独裁体制をしいたのでは、反発を食らいます。

⑪皮肉にも、ナポレオンを皇帝に押し上げたフランス革命が広がったために、ナポレオンの独裁国家が弱体化していきました。

⑫さらに、前政権側の人間によるナポレオンの暗殺未遂(みすい)事件が頻発するようになり、猜疑(さいぎ)心(しん)や危機感からナポレオンは独裁色をいっそう強めていきました。

⑬国内の統治がむずかしくなると、支配者は国内の人びとの目を外に向けようとします。そうすれば国内の不満を外に向けられますし、勝利を重ねれば支配者への支持を強固なものにできます。

⑭ナポレオンもヨーロッパ各国と積極的に戦うことで民衆の不満を外に向けて、外国からフランスを守る英雄としてフランスに君臨(くんりん)しつづけようとしました。ところが、長くつづく国内の混乱と対外戦争で、フランスは弱体化していました。

⑮そんなときにナポレオンはロシアに遠征をおこないます。まともに戦えばナポレオン軍が勝利していたかもしれませんが、ロシアの作戦に引っかかり大敗を喫(きっ)します。

⑯当時のフランス(ナポレオン軍)は四面楚歌状態です。戦争に勝つことが対外的な威嚇(いかく)にもなり国内の意思統一の手段でした。その肝心の戦争で敗北したため、ヨーロッパ各国に勢いと自信をつける結果になってしまいました。対ロシアの敗戦をきっかけに起こった、対フランス同盟軍との戦争でもナポレオンは敗北しました。

⑰ナポレオンは皇帝から退位し、島に幽閉されます。

⑱次のフランス皇帝は各国の反ナポレオン同盟軍を後ろ盾(だて)にしています。フランス革命によって民衆に否定されたはずの王政に無理やり戻そうとしました。この方針に民衆は反発し、フランス国内はなかなか1つにまとまらなかったようです。

⑲こうした状況を見たナポレオンは幽閉先の島を脱出し、フランスに舞い戻って再び皇帝になりました。2度目の登板です。1度目との違いは、1度目は圧倒的人気のなかでの皇帝即位だったのに対して、2度目は敗北したあとの返り咲きです。国民からの人気はいまひとつでした。

⑳親ナポレオン政権は国外にもいましたが、このときすでに敗北しています。反ナポレオン軍に囲まれるなか、ナポレオンが頼れるのはフランス国内の民衆のみでした。フランス国内での支持を大きく集めるため、ナポレオンは民衆にすり寄る方針を取りました。

㉑民衆が求めていたのは、「自分たちの意思をフランス統領政府の方針に反映させること」です。1度目の皇帝就任時は、あくまでナポレオンの独裁体制でした。ところが今回はそんなわけにいきません。ナポレオンは、民衆が選出できる議員の人数を議会の過半数に増やしました。民意によって議会が動く体制にしたのです。

㉒民衆選出議員が過半数になると、ナポレオンが議会をコントロールするのはむずかしくなります。ナポレオンがしたいと思っている政策も、議会に拒否されてしまいます。

㉓ですが、そこまでしてもフランス国民の強力な後押しは得られませんでした。またもや対フランス同盟軍との戦争になり、敗北します。そしてまた幽閉され、幽閉先でじきに亡くなりました。死因は確定しておらず、医療ミスとも胃がんとも言われています。

㉔ナポレオンは国外の敵を破ることで国内での圧倒的人気を得ます。対外戦争に勝ち続けることでしか国内を統治できなかったため、対外戦争に負けるとフランスを外国政府に半ば明け渡さざるを得なくなりました。国内の混乱を収めることはできませんでした。

㉕国のトップとして国内の情勢を安定させ、新たな未来のイメージをフランスの民衆に見せて国内を一致団結させる道はなかったのでしょうか。

㉖一歩フランス国外に出ればナポレオンは四方を敵に囲まれ、現在への対処に忙しく、未来を見すえる余裕がなかったのではないでしょうか。ナポレオン皇帝は過去(絶対王政)の否定のなかから誕生しました。混乱の終息(しゅうそく)とフランスを他国から守るという使命にくわえて、自身の立場と生命の維持に奔走(ほんそう)せざるを得ませんでした。

㉗同時代の思想家や哲学者が語る輝かしい未来イメージは、ナポレオンを皇帝に押し上げる原動力にはなりましたが、ナポレオンにとって歓迎すべきものばかりではなかったのかもしれません。バンジャマン・コンスタンという自由主義思想家は、当初はナポレオンと近しかったのが、後に対立しています。民衆の自由を求める思想を取り入れるよりも、「目の前の敵に打ち勝って現在を守る」という軍人としての姿勢を貫き通すしかなかったのかもしれません。

㉘独裁体制をしいていたナポレオン。「1日3時間しか寝ない」と言われており、それが本当なら超人的な肉体を持っていた人だったと言えるでしょう。ですが、実際には身体が強かったわけではないようです。毎日7時間以上しっかり寝ていたという側近の証言も残っているそうです。さらに、会議中もときどき昼寝をしていたとか。

㉙20代のころは優秀な現場指揮官として名をはせていましたが、40代に入り、身体の衰えを感じていたでしょう。身体が衰えれば心も衰えやすくなります。もともとはおとなしい性格で、革命の喧騒(けんそう)からも距離を置いていた人です。

㉚混乱期には民衆や兵士をリードしたり鼓舞したりする一方で、おとなしく身体も弱い自分を自分で鼓舞しつづけないといけませんでした。もともと、「未来をつくるために皇帝になった」のではなく、「混乱のさなかで皇帝まで昇りつめただけ」です。時流に乗っているときは良かったでしょうが、時代をリードしていたわけではありません。ひとたび皇帝として最高権力を手にすれば、後はひたすらその体制を守ろうとする姿勢に入っていたでしょう。

㉛実際、ジョゼフ・フーシェという、敵対勢力の陰謀(いんぼう)や重要人物のプライベートをあばく能力に長けた人物を重用していました。相手にとって知られたら困るような情報をジョゼフ・フーシェに暴かせ、自分の体制を維持するための原動力にしていたようです。自分の反対勢力を裏で押さえ込むやり方です。体制は維持しやすくとも、国家の発展はむずかしかったかもしれません。

㉜民衆に未来を見せられなくなれば、どれほど英雄的な政治家・軍人でも去るしかなくなったでしょう。時代や状況にあわせた考え方や対応が必要なのだと改めて気づかされます。

[問題1]

(1)この文章は誰についての文章ですか。その人の名前を書いてください。
(2)この文章の主人公が暮らしていた時代は何世紀ですか。
(3)この文章の主人公の出身国はどこですか。
(4)この文章の主人公は何度皇帝になりましたか。
(5)この文章の主人公が行った国内政策で、その後に大きな影響を与えたものを2つ本文中から探して書いてください。
①(    )
②(    )

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