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文化人類学カフェ2014年8月

<村祭りの効用>


 現代に生きる我々は、休みになるとひたすら体の回復に努めます。でも心の方は疲弊したままかもしれません。一方で、村の生活には個人的な休みがない代わりに「お祭り」がありました。

  本来「お祭り」では、日常の会社や家族での役割から離れて、神の下で新たな役割を生きます。様々なしがらみからはずれ、祭りのピークではみんな平等に騒ぎます。無礼講ですね。しばらく経つと、祭りは終わり、それぞれが三々五々日常に戻っていきます。

  神の下に一度召されて(俗世のしがらみから一度離れて)、死者とともに遊び、再び現世に蘇る。この仕組みが生活の中に組み込まれていたのだと思ったりします。身体だけの「回復」ではなく、心身の新たな「再生」です。

 身体を機械のように捉えると、休みの日にお祭りの準備で疲れるのなんてもっての他です。でも、心と身体は分けることはできません。心身ともに元気になるためには、あの世とこの世を自由に行き来できるような仕組みが必要なのかもしれません。

※特別養護老人ホーム グレイスヴィルまいづる発行の『ぐれいす村便り(2014年8月号)』掲載分を加筆修正しています。

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