文化人類学カフェ便り2014年3月

「愛のレッスン」


 みなさん、恋をしたことがありますか!! 恋は素敵なことですが、ときに嵐のように語られます。それは突然襲ってくる暴風雨であり、理性では如何ともしがたい災害のような何かです。打ちのめされ、たたきのめされることも多い。少なくとも僕はそうでした。それでも自分以外の誰か(他者)を求めずにはいられない。

 自分以外の他者を認識したとき「恋」は生まれます。おそらくそれは人間という種がもつ本能なのでしょう。自分の中に、理性以外のコントロール不能な「何か」を認識する瞬間でもあります。

 では愛はどうでしょう?「愛」は「恋」とは違うと僕は思います。「愛」は人間に本能的に備わっていないというのが、これまでの人類学カフェで出たひとつの答えでもありました。愛にはレッスンが必要なのです。

 2月14日の人類学カフェでの西川勝さんの言葉に「哲学とは愛知だ」というのがありました。「知」を愛することがすなわち哲学だと。自分が「知を知らず」であることを知って、「知」を知ろうと努める態度。それが「知を愛すること」であり、哲学なのだと思います。

 哲学には終わることのない「レッスン」が必要です。知の求め方を真剣に何度も何度も反復し、試み続ける。そうしてようやく「知」がおぼろげに見えてくるような気がしてくる。ふと気がつけば「知」を愛していることになっている。求める行為の継続のなかにのみ「愛」があります。

 「愛」は定義されることを拒みます。ただ、あきらめず「愛」を求めること、すなわち「愛のレッスン」を続ける行為だけが「愛」を生じさせ、自己だけでなく他者にも「愛」を可視化させます。

 2014年3月30日に赤レンガパークで公演『愛のレッスン』を行う砂連尾理さんのダンスは真剣に何かを求めています(それがなんなのかはぼくにもわかりません)。でも、それゆえに砂連尾さんのダンスを観た人はそこに、砂連尾さんのダンスという求める行為のなかに砂連尾さんの「愛」を見出します。

 その愛が何なのかを自分なりに考えてみるという行為、つまり「愛のレッスン」を始めることになる。僕はそういうことが今大事なのではないかとこっそり、でも真剣に思っているのです。

次回は3月5日水曜日。テーマは「書くということ」です。

※特別養護老人ホーム グレイスヴィルまいづる発行の『ぐれいす村便り(2014年3月号)』掲載分を加筆修正しています。

『とつとつダンスpart2 愛のレッスン』は2013年3月30日に公開された砂連尾理によるダンス公演です。グレイスヴィルまいづるで行ってきたシリーズとつとつ(とつとつダンスワークショップ+文化人類学カフェ)の成果発表の意味もありました。


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