文化人類学カフェ2014年6月
<おそうじ?>
最近の流行りで「除菌」って書いてあるおそうじグッズってありますね。テレビのCMとかで、空間にバイキンがうようよいる絵を繰り返し見せられると、バイキンたちがいない世界、すなわち無菌状態を理想の環境と勘違いしてしまいそうです。無菌状態は実験室でしかありえないはずです。
一度どんなにきれいに除菌したつもりでも、しばらくすると、そこには様々な自然界の菌が入り込んできます。私たちは常に自然の中で足掻いているといってもよいのかもしれません。
ではおそうじで我々が目指すものって何なのでしょうか?清浄な環境に身を置くことだけなのでしょうか。でも、人によって快適と思える環境が違ったりもしますし。
「おそうじ」を考えるために、とりあえず「清掃」と書き換えてみます。掃いて清めること。つまり「穢れ」(けがれ)を取り除くということです。「穢れ」とは生きていく上でどうしても関わってしまう、私たちの整理を拒む何かです。環境の話だけではありません。心の話でもあります。どんな人の心にもしんしんと積る雪のように澱(おり)がたまっていき、ストレスなんて形で表出したりします。
ぼくが思うに「おそうじ」とはおそらく環境や身体、心に溜まってきた混沌を一度きれいな秩序の方に戻そうと試みること。それには実際にからだを動かすことが一番大切なんじゃないかなと思います。なんだったらそれしかないといってもよいかもしれません。
「掃く」という行為で環境だけじゃなく心の混沌も清めるわけです。なんかもやもやしているとき、思わず「おそうじ」してしまうのはそういうことかもしれません。
※特別養護老人ホーム グレイスヴィルまいづる発行の『ぐれいす村便り(2014年6月号)』掲載分を加筆修正しています。