note回遊記0.1

私について来たインターネット老人会に片足突っ込んでいる一部のリスナー達は、noteが何かを知らないはずである(アウトな毒舌)
ネット老人会に両足突っ込んでいる私は当然知らないので(セーフな自虐)、noteとはなんなのか、まず閲覧者としての使い方を知る為に見て見ぬふりをしながら回遊していた。

まずはハッシュタグを見て見ぬふりした。


日記、エッセイのような誰でも書ける汎用性の高いタグと、
マンガ、詩や絵のようなクリエイティブなタグが上位にあり、
そこからライフハック、ビジネス、人生、恋愛、そして様々なCampaign...

この時点では、私が興味あるタグは少なくとも上位にはないようだ。

私は娯楽性の高いコンテンツをご所望なのである。
一見難しいテーマであっても、普遍的に面白く伝えられている物は好きだ。
どのプラットフォームでも、掘って掘って掘りまくれば面白いコンテンツが転がっている。noteも例外ではないのだろう。

実はこの「一見難しいテーマ」「興味のないテーマ」の中に、とんでもない娯楽性を秘めたコンテンツがある事も、直感的に何となく理解している。
或いは、普遍的に娯楽と認められなくとも、個人的に刺さる面白さがあるコンテンツに出会う事だってあるはずだ。

いずれnoteの面白い見方が見つかったら記事にするかもしれない。
あ、しない奴だこれ。

さて、それでは私がnoteで出来る事とは何か。


正直、Twitterと大して変える気はない。
しかし、Twitterとnoteには明確に違う所がある。
それは長文を書いても追いやすい事である。

noteっぽい与太話を始めそうになったらnoteでやるし、
Twitterっぽい与太話を始めそうになったらTwitterでやる。

今までTwitterでやっていた事をまとめるとこんな感じである。

・誰向けなのかわからない
・何言ってるかわからない
・言ってる本人もわかってない
・誤字脱字が多い
・主語述語が抜ける
・恣意的に解釈できる
・冗長な文章
・語彙の制限がある

このようなコンテクストに対する反骨精神の塊は、誤読を愉しむ事が出来る暇人か、とりあえず画面の柄にして何となく摂取した気になれる人が読む物だ。
情報発信者としては不適格である。恒常的に誤謬を犯す有害なnoteになる。
こんな私が検証し推敲するよりは、あなたの方がよほど確実かつ誠実な文章を書くだろう。
ならせめてなけなしの人間性を盛る為に誤りは認めよう。異論も認めよう。

そうだ、そもそも情報を発信しないようにしよう。


……ともあれ使い方次第ではあるが、noteは実に面白そうかつ有害な場所であるという事はわかった。面白くなりますように。

しかし相変わらずなんも歌う人らしい事言わねえな。

きょうみ
興味

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