インターネット老人の昔話 (1/3)
思えば私は、誰もが知るような歴史的な文芸作品は完全にスルーしてきた。
おいおい、いきなり文の話かよ。歌い手風情がよ。
うるせえ!音楽の解釈も文脈の一部だ!表現という名の言語を尽くせ!
私の好きな考えの一つにOne for all, All for oneというのがありましてね。
略すとOfa, Afoなんです。間抜けですね。嫌いになりました。
出だし、えらい散らかしたな。まぁ良い。
さて、2000年代初頭の話をしよう。
えーー!?なんでーー!?ナゼニホワーィ!?
いきなり昔話を始めるとは、ここはひどいインターネッツですね。
これをするのも、もう何度目かの昔話。ブログなんて言葉が流行る前の事。「Web日記」「テキストサイト」の時代である。
Twitterで同様の昔話をしていた所、凄い人物が侍魂の話に食いついてきたのを憶えている。
やっている事はブログとほぼ変わらず、個人の日記だ。
そこにアフィリエイトや収益化というサクセスルートは無かった。アクセスカウンターを見てキリ番に興じるぐらいである。
普通の日記は普通の日記として読まれたり読まれなかったりしていた。
もちろん公開している以上、読まれる事を意識した物も見られ、面白い物は人気を取る事もあった。
その中でも、一時を境に娯楽性の高い日記サイトが増え始め、改行で間を取り、文字の大きさや色を駆使して声色やテンポを表現しながら、映像や音声にも劣らない普遍的な面白さを表現する事が可能なのだと思い知らされた。
回線速度が遅く、動画など以ての他だったからこそ、文字と小さな画像のみで娯楽を生み出す事に躍起になっていた時代だ。
私にとっては、あれらのWeb日記が初めての「文」の「芸」だったのかもしれない。
出来ればnoteももう少し自由にフォントを弄れるようにして欲しい、と思ったが、多分書籍化する時とかに面倒なんだろう。オトナノジジョウか。
ちなみに回線速度が遅いとはどのレベルなのか、OCNのコラムによると
20年前の実に約7,800倍の速度です。
Wow...
そしてこのようなテキストサイトのみならず、IRC、掲示板、CGIチャット、CGIゲーム、MSNメッセンジャー、そして選ばれしオタクがやるネットゲーム(UO、RO、Lineage等)に至るまで、ほぼ全てのコミュニケーションは文字によって行われていた。
声によるコミュニケーションは2002, 2003年辺りにTeamSpeakというツールが台頭するまでほとんど行われなかった上、マイクを持っていないというのも当たり前だった。携帯なんかi-modeとかである。
FLASHサイトは関係ないので割愛。丸書いててー。
2004年ほどになると、陽気なオタク達の間では魔法のiらんどや前略プロフィール、mixi、出会い系サイト等、携帯電話を駆使したコミュニティが形成され、同時期に電車男やのまネコ問題等が立て続けに起こり、陰気なオタクどもは陽の光と対立し、白日の下に曝された弱き者はその戦の苛烈さにただ己が身を焼かれていくのみであり、更にはブロードバンドの普及やケータイ小説で流入してきた一般PEOPLEにより人口は逆転し、2007年には歴戦のオタク達は一人、また一人と迫害されついぞ彼らは安寧の地を失い――
陽気なオタク達はオフ会で
勝利のハレ晴れユカイを踊り始めたのである!
※史実と大きく異なります。鵜呑みにしないように。
そんなあれこれを横目に私は何事にも頓着せず好き勝手やっており、それぞれの時代の良い所をせっせと省エネにつまみ食いしていた。
しかしその頃、自分が何をしていたかなどという話をするとなると、これはプライバシーの売り渡しなのであまり筆が乗らない。語る程の事でもないと自己判断してしまうのである。
主観(現在)はいつでも流動しており、客観(過去)はいつでも固定されている。
さて、このように私には最低限の構文の教養すらない訳だが、以上のルーツにより文章を書く事にアレルギーはない。まともに書けている保障もないが。
しかし、伝わろうが伝わるまいが構う物かと、滔々と流れる思考の川から食えなくもなさそうな魚を掬い上げ、生焼けの状態の魚を拙速に発信しているのである。
駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。
短い文章、下手な文章、ラクガキ...、そういったものを恐れて手をとめる必要はありません。
ほら、noteさんもこう言ってる。
ぎねん
疑念
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