作文用紙死戦期呼吸
この世には作文用紙というものがある。
わたしがそれを初めて醜いと思ったのは、確か小学3年くらいのときだった。
今になって考えてみると、ただ醜いものと思い込もうとしていただけかもしれない。
けれども当時はなぜそんな醜いものが常に自分の近くに存在しているのか、不思議で堪らなかった。
わたしの知る限り、
作文用紙はいつもひどいことをされていた。
国語の授業のみならず、
道徳の時間でも権力者からの扱いは変わらなかった。
作文用紙は一度先生の手に渡ると、決まって血に染まり、わたしの手元へ戻る頃には虫の息となっていた。
健康で文化的な最低限度の生活を送っていたはずのわたしの作文用紙が...。
なぜ、どうして。
なにも悪くない君が、こんなにも傷つけられなければいけないの。
教室では自分の声を聞いてほしい生徒と、自分の声を聞いてほしい先生の声がぶつかって、新しい言語が生まれ、わたしは作文用紙を見つめながら、自分の片割れの声を聞いていた。
『ぼくの夏休みの思い出。そんなたったひとつの大切な思い出も奪い去るんだね。ぼくは楽しんじゃいけないのかな』
悲痛な叫びを、聞き続けることなどできなかった。聞きたくなくて遠ざけた。
嫌いだからあっちに行けと、そうやって何度も何度も拒んだ。
先生は、
大人は、
どうやらわたしから大切な夏休みの思い出を奪い去りたいらしい。
構築しても奪われる、
その闘いに耐えられなくなったわたしは、
9月、
子どもたちの自殺が1番多いとされる時期に、
彼の死線期呼吸を見届け、
そっと、
この手で、
その首を絞めた。
いつの間にか時は過ぎ、
わたしは闘っていたこと自体をも忘れ、
作文用紙に死線期呼吸があったことも忘れてしまっていた。
そう、
わたしはいつのまにか、
自身も大人と呼ばれるような人間に落ちてしまっていたのだ。
今日、わたしは数億年ぶりに君を目の前にした。
大切なひとに、想いを伝えたかったからだ。
紙を手にした時、わたしはこれまでのことをすべてを思い出していた。
そっとペンを手に取り、
大きく深呼吸をして、
恐る恐る君に声をかける。
「もう君を殺させはしないさ。誰にも、僕にも、ね」
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