当事者性を捨てる
某イベントのアフタートークがYouTube上にアップされていた。代表さんと楽しそうに話す自分を見て、思ったことが2つ。
『前より話すの上手くなったな』ってこと。
そして『相手の望む回答をしてしまうクセが抜けないな』ってこと。
あの場でわたしが話したことはすべて本心だし、嘘はひとつもないけれど、なんだか自分自身に対して気持ちの悪さを感じてしまった。
実はわたしは『虐待』とか『社会的養護』とか『当事者活動』とか『精神疾患』とか『セクシャルマイノリティ』とかそういったワード類に興味がない。
でもそれらを深く知ろうとしてきたのは事実。
(とは言ったって、わたしが『社会的養護』という言葉を知ったのは半年前なんだけどね。)
自分の状態を客観的に捉えるために、
知ろうとしてきた。
これは虐待なのか、しつけなのか、
児童相談所に連絡したら何が起こるのか、
これは恋なのか、それとも憧れなのか、
そもそもわたしとはなにか、
この身体と頭と心は本当に自分が動かしているのか、
どうして自分はこの時代に生まれてきたのか、
生とはなにか、
死とはなにか、、、
わたしは学校の勉強を放棄して、
これらの問いをずっと考えていた。
お陰でテストではいつも赤点とギリ赤点回避の狭間に立ち、結局市内で『バカ学校』と呼ばれている超底辺高校へと進学したんだ。
活字は読めなかったから、
テレビと、あとは起動から検索まで1時間もかかる動きの悪いWindowsXPで、自分の状態を知るための情報を集めた。
そして高校を卒業する頃には
最初に言ったワード類への興味がなくなっていた。自分の知りたいこと、調べ物には一区切りがついていたんだ。
2022年の今、
『不登校』だったとか『障害者手帳』を持っているとか『LGBTQ』の当事者だという話が出た時に、明らかに動揺する人間を見ると、こころの中でため息が出てしまう。
動揺していないよ、自分は理解あるよ、個性だもんね!
そんなことを言いながら、動揺を隠しきれていない。
理解あるよ、個性だもんねって言う人がいるけれど、それらが当たり前の世界で生きている者からすればその言葉は違和感でしか無い。
日本にやって来た、英語を第一言語とする外国人が、日本語を使っている日本人を見て、
『あなた達は英語を話さない人たちなのね!大丈夫、自分は理解あるよ!今の時代、言語の違いなんて関係ない!差別はしないよ!だって、個性だもん!』と笑顔で言ってるのと同じだ。
わたしは
過去に女の子とお付き合いしていたことを
わざわざ『実はね...』なんて言葉をつけて明かしたりはしない。
当たり前すぎて。
オープンにしてるとか、そういうものすらない。
日本語を話すことを“オープンにしている”なんて意識しないように、
当たり前すぎるんだ。
話が逸れたので元に戻すと、
わたしは最初に挙げたワード類に対して興味はない。学術的にも。
いや嘘、1つだけある。
研究して論文にまとめたいことがある。
でもまあそのひとつを除いて、興味はない。
だからこそ、何を今更って正直思う。
何を今更、『当事者性』を背負って発言しなければならないのかと思ってしまう。
『当事者性』を背負って発言すると、
『理解あります人間』に出会うことが多くなって、疲れるのに。
またわたしはどこかのNPO団体の人間ではないし、どこかの団体の味方でもない。
某イベントのアフタートークでお話しはしたけれど、某イベントの味方ではない。もちろん敵でもない。
だから別に『相手の望むであろう答え』を言う必要は全くないけれど、それを汲み取って言ってしまうクセが自分にはある。
相手の複雑な気持ちや考えが手に取るようにわかってしまうから、相手が望む答えを、相手が望む以上に言おうとしてしまう。
後々誰かからあなたが責められないように、
それまで見越して、話してしまう。
この結果、『そっちの人間』と思われるようになってしまった。
これは非常に辛いことである。
アフタートークで、
わたしは『当事者性を捨てる』ことをお話をした。
自分自身が当事者性を持っているからこそわかること、生まれる問いは間違いなく存在するけれど、わたしはいま『虐待を受けた当事者』でも『LGBTQ当事者』でも『精神疾患のある当事者』でもないと思っている。
これらは自分を構成するものであって、当たり前なことすぎて、意識することもない事柄だから。
正直いまのわたしは
『ブラックコーヒーを飲みながらザラストシップを観れるこの瞬間についつい幸せを感じてしまう当事者』でしかない
これから先、『当事者性』を背負う人とお話しするときは自分の『当事者性』はできるだけ捨てていくつもりだ。
じゃないと相手に自分の考えや思いを押し付けてしまうことになりかねない。
そんなわたしがいまメディアに出ているのには理由がみっつある。
ひとつは小さい頃の自分の想いを叶えるため、、。
おさるのジョージとカッターナイフを持って真夜中、外を彷徨った日を思い出す。
『誰か助けてよ、、』
『この声が聞こえているなら誰か返事してよ、、』
『神様、おばあちゃん、空から見ているなら助けてよ、、』
このときの叫びの声は誰にも届かなかった。
周りの大人に対して、
呆れと怒りと悲しみと、
強い感情が渦巻いて、
『いつか、ぜってえ地上へと這い上がって、これまでの苦しみをすべて吐き出してやる』
そう思った。
思い続けてわたしはここまで来た。
そしてそれはもう達成された。
ふたつめの理由は、
自分が本当にやりたい研究、興味のある分野に関係のある人たちと繋がりたかったから。
これにも希望が見えてきた。
みっつめは自分の障害を乗り越えるための訓練として利用したかったから。
訓練や練習でなんとかならないことも多いけど、なんとかなることもまた多い。
人前に出てできるだけ多くの人の前で、即興で話をすることがとっても苦手なわたしは、
某イベントでのスピーチやアフタートークやメディアの取材は最高の訓練場所だった。
さあそろそろわたしは
当事者性を捨てて生きていく準備をするよ。
当事者性を初めて背負ったのは今年の2月。
たった半年、されど半年、特別な時間だった。
あ、最後にひとつ、わたしが大切にしたいこと。
『当事者性は捨てる』けど
『当事者性を背負うことの重み』は
この先も忘れたくない。
はやく自分の研究に没頭したい。
自分の研究で世に出たい。
自分の研究で本を書きたい。
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夜空がみずがめ座δの星達を流すから、
わたしは部屋でジョンレノンを流した。
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