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【中国映画1980s】阿城原作/チェン・カイコー監督『子供たちの王様』~教育の意義を疑わせる映画を教育現場で見せる意義~

 毎回、「中国文学特殊講義」の授業では学生に発言を求めている。しかし、学生の積極的な発言を促すためには、単に関心を高めたり、作品や教員に共感してもらうだけでなく、既存の価値観への再考を促す作品議論の余地のある作品を扱う必要があるのかもしれない。

 今回の授業では、1987年の中国映画『子供たちの王様』を取りあげた。
 原題:《孩子王》
 監督: 陳凱歌(チェン・カイコー)
 製作年: 1987年 日本公開:1989年
 製作国: 中国

あらすじ:
 文化大革命末期の農村の中学校。教科書さえ支給されず、先生が黒板に教科書の本文を書き、学生がそれをノートに写す授業を行っていた。国語の教科書の内容は共産党の統治をほめたたえるプロパガンダだった。生徒に作文を書かせると、新聞の社説をまる写しする。
 新しく中学校に赴任した若い先生は、教科書を使わず、社説を「写す」ような作文もやめて、身近なことについてテーマを設け作文を書かせる授業をする。しかし、最も優秀な王福という生徒は、辞書を「写す」ことで勉強しようとして、先生は困惑する。
 指導要領に従わない授業をしていることは上層部の耳にも入り、若い先生は解任されてもといた職場へ帰っていく。

 雲南省の国境地帯で撮影された本作品は、一見して豊かな自然と素朴な人々、農村の教育レベルの低さ、勉強の大切さを描いているように見える。しかし、この作品で描かれているのは自分の意見をもつことが許されなかった時代の歪みである。
 たとえば、生徒に論説文の意味を答えさせても、答えないが、先生が解説すると、一字一句まちがえずに解説を暗唱する。クラス全員が「合っています!」と言うのだった。
 国語という教科にあっても、正解を暗記することが奨励されている状況があった。もちろん作文の内容は党の公式見解を引き写したような千篇一律だった。

 若い先生は生徒に「何も写すな、新聞の社説も写すな」と言って身近なテーマで作文を書かせる。しかし、王福という生徒は、勉強のために辞書を書き写し始める。「写すな」という教育は壁に突き当たる。
 村には学校に通っていない牛飼いの子供がいるが、彼は先生がいくら呼びかけても、われ関せずとばかりに山々を歩く。しかし、山は野焼きで荒れつつある。先生自身もかつては、生産隊で野焼きをしたことがあるのだった。それは自然の否定である。
 先生は学校を去る前に、王福に辞書を贈る。「これからは何も写すな、辞書も写すな」というメッセージを書き添えて。
 自然と人為、はたして教育という人為に意味はあるのか。

 この映画を観て文化大革命の時代の教育を批判した傑作だと思っていたが、学生と話して映画はもっと両義的なメッセージを伝えていると思うようになった。
 主人公は牛飼いになるわけではない。彼は都市から来た下放青年なので、もともと農業や林業をしていた生産隊に帰ったあとは、野焼きを命じられれば野焼きをし、伐採を命じられれば伐採をするだろう。彼は人為のなかから抜け出すことはできない。しかし、映画を観るとやはり勉強や、学校という制度の中に学生を閉じ込めて、その中で優等生になることを求めるような教育は、正しいのだろうかと考えてしまう。
 それでも、現代の日本であっても学生に教科書の本文や板書を写すような授業をしている。この映画のように学生に「何も写すな!」と命じたとしてら、学生は勉強ができなくなってしまう。本作品は教育という制度を疑わせると同時に、しかし明確な答えのない問いを投げかける。だが、授業で本作品を扱うと、答えがないがゆえに議論がおきる。

 枠組みを疑い、常識を疑うことの意味は問い続けたくなる。
 教育や制度という枠の意味は、教育自身の内部から問いかけたい。

 とはいえ実は、本作品の背後にはもう一つ皮肉な事実がある。本作品の陳凱歌監督自身が、今では『1950 鋼の第7中隊』(原題:『長津湖』、21年)、『1950 水門橋決戦』(原題:『長津湖之水門橋』、22年)などの国策映画(主旋律映画)の作成に携わっている。


 本作品には原作となる小説がある。『現代中国文学選集』のなかの1作品として、翻訳されてもいる。

 原作の小説では、主人公の友人たちは香港のラジオ放送を聞き、国内では隠蔽されているニュースを聞き、ファッションや音楽の流行を追っている。閉塞感に満ちた時代はいずれ破綻する時が来るだろう。
 現代の日本で、もはや枠のなかに収まり、レールの上に乗るだけの学生を育てるような教育を続ける意義はあるのだろうか。レールに乗った人生が良いか悪いか以前に、そのレールはどこまで続いているか分からない。日本企業の衰退、日本社会の停滞という状況にあっては、たとえ大企業や公務員に就職したとしても、一生安泰とは限らない。
 制度を疑い、抜けだし、自分で歩めるようになれなければ、未来はない。だからやはり、枠から外れることを教えるべきなのだ。

書誌情報

原作

・阿城《孩子王》,《人民文学》1985年第2期。
・立間祥介訳「中学教師」『現代中国文学選集8 阿城 チャンピオン・他』徳間書店、1989年。

参考文献

・陳凱歌、平井輝章聞き手「中国映画『子供たちの王様』の陳凱歌監督にきく」『中国研究月報』第494号、1989年4月。
・陳凱歌、苅間文俊訳『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』講談社、1990年。
・下出宣子「八十年代文学再読 阿城「三王」――『孩子王』を中心に」『日本中国当代文学研究会会報』第22号、2008年。

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