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1人のトランスが、日本中の生まれ女性トランスの痛みの解放に貢献する可能性について

先日書いた記事の出来事が起爆剤になり、セクシュアリティにまつわる自分の痛みが浮上してきたことに気づいた。

差別に対して怒ることの正当性に疑問はないけど、表現の仕方は、自分でも反応的防衛的になりすぎるきらいがあったかも、と感じ始めている。

うーん…でもこれ正直あんまり認めたくないんよね…。

というのも、マイノリティによる権利獲得の社会運動の文脈では、『そんなに怒らなくても』『そんな言い方じゃ聞いてもらえないよ』という語り方で、当事者が怒りを抑圧されがちな側面がある。

差別された上に怒るななんてひどい話なわけで、怒りさえ奪われたくないというプライドもありながら、自分の怒りには防衛や反応も混じっていたかもと疑うことは、結構、いやだいぶ抵抗があった。

でもまぁ、書いてみて思ったけど、先日の件に限って言うと、
『自分や自分が関連する属性やコミュニティの尊厳を守るために怒る』という健全な怒りと、
『自分が持つ痛みから来る反応や防衛反応』と、両方あったんだろうな。

いや、そらそうなのよ。
こんな世の中で生きてきて、毎日マイクロアグレッションや時々明確な差別を浴びて、
さらにセクマイの友人知人がバンバン傷ついたり病んだり死んだりしてんだから痛みアリアリですよ。

反応や防衛も出ますよ。でなきゃ私もとっくにやばいことになってただろう。

しかも元々割と温厚だし、怒り慣れてないから怒り方が上手じゃなくてもしゃーないわ。うん。
これが私の現在地。認めましょう。はい。

健全な怒りと、反応や防衛反応の切り分けは、まだ自分でも目下練習中なので、引き続きやっていきたいと思います。


さて。

今回、心身を焦がすように怒る私を心配して、愛しい友人たちから気遣いのメッセージをいくつかもらった。
「もっと自分を大事にしていい、hiRoが幸せになっていいんだよ」って。

ふふ、嬉しいね。大切にしてくれてありがとう。

でも、誇りを守るための怒りであれば、それも私には大事なことだから、無理はしてないからね。
というのは伝わるといいな。

とはいえ、友人たちに心配をかけるのもしのびないし、実際問題怒り続けることもかなり大変。
だからもう少し、私の夢である、差別や抑圧のない世界のために、自分に出来ることないかなと思ったりした。

もうちょい無理のない形で、自分らしく、世界平和に貢献する道もあってもいいよね?

というわけでひとまず、私の十八番である内省+内面の癒しと解放が、世界平和に与える影響について考えてみた。


そしたらさ、ちょっと面白かったのよ。
聞いてくれます?話したいから話すけども。

まずね、トランスジェンダーは人口の約0.5%って言われてるの。(統計により多少変動があります)
これちなみに100万人都市に5000人いる計算で、例えば関西最大都市の大阪市を例に取ると、人口が約269万人=1万人以上いる計算になる。
結構いるよね。計算してびっくりした。

続いて、私が取り組んでいる、脳の不要な思考感情を解放するセラピーである『アクセスバーズ™️』から。
一度のセッションを受けた一人の人間が、ある観点・価値観・感情を手放すことは、同時に共通したものを持つ35万人のそれらを解放することになると言われてるんよ。

もし、集合的無意識の中で、1人と全体が相互作用を起こし合う割合が1:35万なのだとすると。

『私ひとりが、自分のトランス性にまつわる痛みを癒し解放することに取り組んだとしたら、35万人のトランスジェンダーの集合的無意識の痛みの解放に影響を与えることになるんじゃないか?』

という仮説を思いついた。

日本の人口は、2019年段階統計で約1億263万人。その0.5%は63万1500人。

これを生まれた時に割り当てられた性で単純に二分したとして、生まれ女性のトランスジェンダーは31万5750人。
35万人を下回るね。

ということはだよ。
私1人が自分の内面に取り組んだとしたら、日本の全ての生まれ女性トランスの痛みの解放に、貢献できる可能性あるんとちゃいますか。
え、ほんまやったらこれすごくない??


ちなみにこれは、
1.アクセスの1:35万という割合の説を、セッション以外の相互作用としてもそのまま採用していいのか?
→まぁ一旦ええとしましょう。そう考えた方がおもろいから。

2.私が解放する一方で、自分含めて日本の生まれ女性トランスの痛みは絶えず集合的無意識に蓄積されているので、私1人が1回取り組んでさっぱりはい終わり、にはならないよね?
→自分のトランスに由来する痛みの解放には取り組み続けます&自分の痛みに取り組む生まれ女性のトランスが増えれば増えるほど、集合的無意識の痛みに対抗する力が増えるやろうから、1人でやらんと仲間を増やしましょう。

という考えの上で提唱してみた。

まぁ何が言いたいかって、

一人の人間が癒されることのパワーすごくね??

ってびっくりしたって話ですわ。

自分に内面化した一つの観点を解放することの影響力の莫大さというか、1人の力って全然微力じゃないよね、というか。


よく「平和は自分の内なる平和から始まる」とか言われるけどさ、これって本当なのかもしれない。
今までは、一人が癒されて、また次の人が癒されて…なんて待ってたら世界滅びるやろ、そんなん待っとけるか、とか思ってたけど違うのかも。

多分、世界の仕組みは「継次処理」じゃなくて「同時処理」なんやわ。

『個人の癒しと、世界全体の癒しは同時に起こる』
始まる、というより、イコールなのかもしれない。

ホログラフィックユニバースの理論でも「部分の中に全体がある」と語られてるし、我々の中に宇宙があり、ひとりの平和は宇宙の平和を創造するのかも。これはスピ的なお題目じゃなくて、物理の話、実際に現実を創造し得るという意味で。

おー、思いつくままに書いてたら、なんか思いもよらんところまで来たな。

自分が自分の痛みに突っ込んでいくことこそが、今まさに同時に世界の平和を作ってるって思うと、かなり感じが変わる。
今までは、私が自分を癒している間にも痛みが生まれている、という苦しみと焦りがあったけど、ちょっと和らいだ。

私は今はセクマイ(特に生まれ女性トランス)担当を自認して、そこに代表して痛みに突っ込んでいこうとしてるけど、多分人それぞれ色々担当持ってるんやろな。しかも色々兼任して。

自分が世の中で痛みが見えている分野について、自分の内なる平和に取り組むことは、一人一人が今からでも世界平和に取り組んでいけるところなんかもって思うとかなり希望があるなー。


という訳で、私のセクマイとして傷ついてきた痛みについて、今までみたいに具体的に解体してガシガシ向き合っていく所存。

日本中の生まれ女性トランスのためにも!やるぜ!!

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