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とあるやさしい私の友に向けて

私の友人たちは、やさしい。
皆それぞれに、それぞれの形で、とてもやさしい。

3月、私は随分と凹んでいたので、そんなやさしい友人たちにたくさん助けてもらった。

気を遣わせまいとそっとしておいてくれることも、
喜んでもらおう、元気づけようと関わってくれることも、
真っ直ぐに言葉を届けてくれることも、
静かに耳を傾けてくれることも、

それぞれの形で愛なんだとわかって、それらを大切に味わっている。

時々で受け取りやすい愛のかたちは変わるとはいえ、私に贈られる思いやりややさしさを喜んでいる。いつもありがとう。

嬉しかったのが、具体的にこんな風に助けてほしい、といくつかオーダーを出せて、さらにそれを受け止めてもらったこと。

「へとへとだけど一人になるとまずい気がするから、ただご飯を一緒に食べてほしい」とか
「今は温かいメッセージを受け取りづらい状態だからそっと見守っていてほしい」とか
「今は反応や防衛が強くて、生傷を晒しているような状態だということをただ知っていてほしい」とか

それぞれに、現状を素直に伝えた上で具体的にしてほしいdoingをお願いした。

相手を困らせたり悲しませたりしやしないかと、気になりながら勇気を出してオーダーをしたけど、それらはどれも快諾と共に120%受け取られて、なんというか「いいの!?!?」って、驚いてしまった。

自分のお願いがこんなにすんなり受け取られるなんて。
こんなにすんなり叶えてもらえるなんて。
なんかびっくり。

そして、皆に大事にしてもらってるんだな、と自然と思えた。
皆はやさしいけど、それは私を大事に思ってくれているからもあるんだと、受け取られたことでなんだか一層実感できた気がする。

すごいぞ。成長している。拍手。

最近は、大人数で楽しく賑やかにワイワイするというより、自然豊かなところや静かなところで、少人数で、ゆったりのびのびと過ごすことを欲している。

そんな時間を割と持てていて、とても嬉しい。
こんな時間が、こんな気持ちが、もっとほしい。

* * * * * 

立て続けに大きい痛みとその反応を感じて、ものすごく臆病になっている。

もうあんな思いをしたら死んでしまうんじゃないかと思うくらいの痛みを感じたから、やっぱりしばらくは、足がすくむ。
背中が緊張で硬くなり、喉が締まって息が浅くなる。
肩がこわばる。手が震える。口が渇いて、泣きそうになる。

不意に頭によぎって強く痛むから、私は十分でない、私には力がない、と、打ちひしがれてしまいそうになる。

でも、その更に奥には、小さな、でも強く光る願いがある。

この痛みを乗り越えて成長したい。
今から想像もできないほど大きくてやさしい自分になりたい。
他者を照らせるような、希望や励ましを届けられるようなひとになりたい。

そしてどこかで、そうなれることを知っている。

それに気づいた時、やさしい私の友人たちに向けて、今までの人生で抱いたことのないお願いごとが出てきた。


「焦らず、私を信頼してほしい。
私が回復していくこと、元気になっていくこと、痛みを包括して成長していくこと、また歩めることを、信じて見ていてほしい。」

怖がる人、痛がる人を見続けるのは、時に見る側も辛い。

愛する人が痛がる様を見たくない。
愛する人が苦しむ様を見たくない。
愛する人の痛みを取り除けない自分の無力さを味わいたくない。
痛みを取り除けないことで、愛する人に失望されたり嫌われたくない。

私もそんな自分の痛みや恐れに耐えかねて、人に手を差し伸べては本人の力を奪ってきたことが山ほどある。
そしてそれは、自分の痛みを紛らわせるだけで、相手を本当に助けることではないのだと、すこしずつ知ってきた。
でも、そこに相手への愛があったこともまた、知っていた。

だから、大切な友人に、ただ信じて見ていてくれとオーダーを出すことは心苦しい。
私を大切に思ってくれるほど強まる「見守る痛み」に、耐えてくれと言っているようなものだから。
でも、もしかしたらそれを受け取ってくれるんじゃないか、そんな信頼と共に、願いを差し出したいと思っている。

人を信じること、人に任せることは、信じる側もこわいのだ。
でもどうか信じてほしい。
私に力があることを。
私が成長していけることを。
私に自分の願いを守る強さがあることを。

君が私を信頼しないこと、痛みに耐えられない弱く守るべき存在だと眼差すことは、私を本当にそうしてしまう。
私が私を信じられない時でも、せめて君は、君だけは、私の力を信じていてほしい。

信じて、応援して、それでも傷ついた時はすこし休ませてほしい。大丈夫、そうしてくれたらちゃんと元気になるから。
やり方がわからなければ、共に考えてほしい。でも、実際に取り組むとき、また自分の足で踏み出していこうとするときは、君ならきっとできるよと見送ってほしい。

私の力を信じてくれるその信頼が、私を強くしてくれるのだと知っていて欲しい。

君の思いやり、君が意識を向けることは、それだけ物凄くパワフルな力があるのだと、知っていてほしい。

見守って欲しい。
待っていてほしい。
私には、私を信じてくれる君が必要だ。

そうしたらきっと、時間がかかっても、私はまた立ち上がって歩いていける。

いつもありがとう、私のやさしい友人たち。

君たちのおかげで既に、以前より強くなれました。
きっとこれから、もっと強くなれます。君たちが信じてくれるなら。

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