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クィアとパートナーシップについてつらつら考えた雑記(雑な記録)


現状自分は、1:1異性愛のマジョリティ恋愛モデル枠に(結果的に)はまれてしまっているのだけれど。
(※この状態や今のパートナーと今後も1:1で関係を深め続けるということには、超納得してるしコミットしてる。でもフレームとしてはこんな形っていう意味で書いてて不満とかじゃないです。誤解されたくないから念の為)

個人としては今の形がベストだからそれを変えたり実践するつもりはないけど、一活動家としては、クィアなパートナーシップの存在や、その深化をもっと探求発信していきたいなと思ったりする。

いろんなパートナーシップの形が存在してるのに、あまりにも不可視化されてたり、ないことにされてるのが嫌なんよね。

あと自分のセクシュアルアイデンティティとしてパンセクシュアルであるという自認もあるため、それが他者から不可視化されていく居心地の悪さというか落ち着かなさとかも少しあったりする。

セクシュアルアイデンティティはアイデンティティの一部なので、現状や過去のパートナーシップがどんな形か/形だったのかとは関係がない。
実践してるしてないその経験の有無も関係ない。

でも外からは、その行動や形しか目で見えないので、勝手に1:1で異性愛で当然恋愛や性的関係を望む人であるかのように見られる。
もしくは今の形に則して判断されたりする。

なんか何が言いたいかというと、自分や相手の幸福や充足感の向上、自己理解のためにパートナーシップを探求していきたいのに、前提のところでそのパートナーシップの形自体に色々言われたりないことにされたりして、「中身の充実」まで安心して全力で考えたり探究できる時間や場所や機会がないのが「なんでやねん!!!!!」って思うって感じ。

マニアックな話だなぁこれ、、
でもここ、前からずーっと興味あるんよねー。
パートナーシップの願いが深いんだよな〜

noteってこういう自分にしかわからんみたいなこと書けるの楽しいわ〜。ありがとうnote。

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