一人称のパワー

男性性の解放チャレンジの一環で、noteで書く際に一人称を「俺」に変えてから、もうすぐで2ヶ月弱。

▼「俺」スタート時の記事はこちら


今、めっちゃ思う。

あの時の俺、ほんまグッジョブ。

一人称変えるの、意味があるかもわからないしこわいのに、わからないなりに、こわがりながら始めてくれてほんとにありがとう。これ、すげー意味あったよ。

現在、「俺」をnoteで使い始めてだいぶ経ったことに加え、一部の友人にはLINE等のテキストでも「俺」を使ったりして、随分こなれてきた。

しかし、だ。

最近、口頭でも一人称を変えてみよう!と試み始めてから、なにやら一人称が大渋滞している。

今まで使っていた「私」
比較的使いやすい「僕」
近しい友人で、男性性の解放チャレンジを知っててくれている人に対しての「俺」
更には、混乱した時に咄嗟に出てくる「自分」までカットインしてきた。なんやお前は。

もはや俺にとっちゃ時は大一人称時代。
一人称同士が覇権を争い、日々の俺のコミュニケーションは今や彼ら(?)の戦場と化している。

まぁそんなこんなで、苦戦しながら日々俺や僕を口に出している。
一人称定まってないと、いちいち考えるからすげー話しにくい。こんな体験してる人、あんまいないだろうな。結構面白いよ。

実際、口頭で一人称を変えることで、自分がすごく色んなことを感じているのがとても興味深くて。
人間は言葉で世界を認識し構築している、というのはコーチングの世界で聞いていて「まぁなんとなくわかる」と思ってたんやけど、マジでそうだった。
俺たちは言葉で世界を作っている。自分自身でさえも。

なんかマニアックな話やけど、是非聞いてほしい。
いい?書くよ??

一人称を変えると、『エネルギーの乗り方が違う』
そして多分その影響で、『相手への響き方が違う』のを感じている。

いっこずついこう。

身体を通すってすごい学びや気づきがあるなと体感したんやけど、胸の奥から、喉を通して口に出す「私」と「僕」と「俺」は、それぞれ質感が違うねん。
これがエネルギーの乗り方の違い。

私は、優しくてやわらかく、ニュートラルな感じ。口にし慣れてるから滑らかで引っ掛かりがない。でもその分、なんていうんやろ、自分だけの、この自分の言葉じゃないなって感覚。
誰が使っても違和感のない一人称。

僕は、男性であることを示しながらもソフトな感じ。私に比べたら主張があるけど、俺ほど尖ってなくて、やさしさや受容的なエネルギーを感じる。
距離はあるけどかしこまり過ぎない、ビジネスカジュアルくらいの感覚の一人称。

俺は、男性性の主張が強い。それだけじゃなくて、他に比べて自己主張が強く、意志の強さやはっきりした存在感を感じる。あと、とても近い印象があって、その分ちょっと排他的というか闘争的な感じもある、エネルギッシュな一人称。

なんやこれ。
ソムリエか?一人称ソムリエ?

それはいいとして、実際にこれらの一人称で過ごしていると、自分自身に対しても、それを聞く他者に対しても、上記に書いたような印象を与える気がするんよね。
自分で自分を何者と称するのか、そしてそれを他者に対して発する時にどのように眼差されたいか、それを、一人称を言うたびに宣言してる感じがする。
一人称、すげー重要やん。使い分けないとこんなの気づけなかった。

で、今の自分に馴染みがあるのはどれかというと、「俺」と「僕」
数十年使い続けてきた「私」は、今や随分と遠い感じになったことに驚いている。

でも、心が喜んでるのを感じる。
「俺」や「僕」こそが今の自分だ、こっちの方がしっくり来るって、心が言ってる。

ずっと、言えなかった。

覚えている記憶がある。
中1の時、冗談めかして、でもかなり勇気を出して、「あ、俺さぁ」って部活の友人に言ったことがある。
その友人は、笑いながら、「えっ、俺?」って聞き返して。
その瞬間、ひゅっと喉の奥が締まった感じがして、「あっ、違う、間違えた〜」って、へらへら笑って下手な言い訳をした。

首と頬が、じんじん熱かった。二度と言えないって、思った。


俺や僕って言って、「違うでしょ、あなたは女なのに」って、男の自分を真正面から否定されることが怖かった。

俺って言って、親を、俺が娘ではないという事実に直面させて傷つけるかもしれないと思って怖かった。


でも、別にいつもたったひとつの一人称だけじゃなくていいし、僕や俺だって使っていいってわかって。
実際にそれを使うことを応援してくれる仲間がいて、こわごわ使い始めたら、世界が広がった。

数十年越しにたどり着いた、「俺」。今、君に会えて、すごく嬉しい。


俺は、自分の全部を生きられていなかったんだと、最近次々に気づいている。

服を変え、髪を変え、一人称を変えてみてわかったのは、これが俺だって思ってた自分はほんの一部で、まだまだその外に、俺という存在は広がっていたということ。
そして、変えてみたところで元々持っていたものがなくなるわけではなくて、「AかBか」ではなく、「AもBも、なんならCも」という形で、選択肢が広がっていくんだということ。

失うこと、変わることを、怖れなくていいんだ。
ただ、選択肢が増えるだけ。
ただ、自分の中の多様さの色合いが深まるだけ。

そしてそれは、とても美しいことだ。

それがわかって、良かった。

これからも、「俺」も「僕」ももちろん「私」も、全部自然に、自分だって感じながら使いたい。

明日は、少し勇気を出して、職場で一人称変えます宣言するつもり。
「俺」で過ごせる場所を、少しずつ、少しずつ、広げていくんだ。

もっともっと、いろんな俺が待っているから。会いに行かなきゃ。

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