自分を受け入れるのが難しい
年1回の大きな企画を終えた。
無事に終えられて本当によかった。
企画を終えるといつもそうで。
やったことで初めて見えた世界があって、次はその先に行きたくなる。
次はあれもやりたい、あっちも行きたい、もっと体験がしたい!
心ははやり、気持ちが溢れる。
が。
体がついてこない。
自分が繊細なのか周囲が超人なのか、自分はヘトヘトで次の日1日寝倒したりするのだが、相棒や他の参加者さん、講師の師匠などはみんなピンピンしている(ように見える)のだ。
なんで朝から仕事とか行けるんや。どういうことや。全員スーパーマンか。
とにかく俺は企画をすると、どうしてもそのあとすぐには動けない。
普通のことなのかもしれないが。
周囲とのエネルギー的体力的ギャップを感じるたび、もどかしく悔しい気持ちになる。
内に抱える想いに、自分の体力や集中力や気力が追いつかない。
先に走り出そうとする心と、ぜえぜぇ言いながら追いかける体と頭。
公園で見かける親子かよ。
キラキラの目ですべり台やジャングルジムに駆け寄る子どもの後ろを、死んだ目の大人が追いかけているみたい。
そうなると、体を責め始める。
なぜついてこないんだ!なぜできないんだ!
でもこんなの、側から冷静に見ればブラック企業か虐待だ。ひでぇ話だぜ。
疲れてるし、できないもんはできない。
100m10秒で走れるのはボルトだからであって、一般人に「なぜできない」と言ったところでそりゃ無茶な話だ。
って、頭ではめちゃめちゃわかる。
でも心が、それをなかなか受け入れられない。
無理なオーダーとわかっていても、心に追いつける無尽蔵な体力や集中力、強靭な体を欲している。
そうしたらもっとできるのに。
もっと早く、もっとたくさん、もっとできるのに!!なんで!!!!
と書いてみて思うけど、そうできないというのなら、今はゆっくりすることが必要なのだろうか。
立ち止まり、スペースを取り、振り返り、しっかり収穫し静かに見つめることが大切なのだろうか。
「葛藤は必ずしも悪くない、そこから何かが生まれてきたり新しい道が見えてくる」と教えてもらったばかり。
実際俺だって、こんなふうに体や頭を虐待したいわけではない。自分の有限さを許せないことを、心が狭いと思ったりもする。
有限の体に折り合いをつけつつ、最大限心に追いつきたい。
求め続けつつ、今日は自分の体を責めずに眠りたい。
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