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「君たちのことをちゃんと見ている」と伝えたくて

先日、兵庫県のとある学校で講演してきました。
生徒数だけで800人を超える大所帯で、実際に話を届けたのはほぼ900人。

コロナ禍のご時世により、体育館で一斉に話すことは叶わず、別室からのオンラインでの一斉配信という形だった。わぁハイテク。
コロナの影響でオンライン授業等を余儀なくされ、去年少しずつ学校の環境を整備してきたらしい。先生方には本当に頭が上がらない。

さて。
学年全体とか、学校全体とかの一斉授業の形式だと、質疑応答でフロアとやりとりすることが難しいので(大勢の前で質問するって大人でも難しいよね)、俺は大抵事前に質問を回収するようにしている。

今回も先生にお願いして用紙を配ってもらい、

・好きなもの、やってみたいこと
・俺への質問

を書いてもらった。

家に郵送で届いた用紙の数は、その数600枚以上。
しかも、ほとんどの子が結構しっかり両方の項目を書いてくれていたので読むだけでもなかなかに時間がかかった。
ざら半紙なので、めくるたびにアラサーの指の脂はすっかり奪われていく。ぱっさぱさやで。

読んでみると、好きなことややりたいことを、かなり詳細に書いてくれている人が少なくなかった。自分のことを知ってほしい、見てほしい、と言っているようで、自ずと真剣に見入る。

また印象的だったのが、質問が素朴で切実だったこと。
性別のことだけじゃなくて、例えばこんなものも。

「自信を持つにはどうしたらいいですか」
「勇気を出して一歩を踏み出すにはどうしたら?」
「人の目が気になってしまいます」
「自分のことを話すのは、こわくないですか」

そうか。君たちはそう思っているんだね。

自信を持ちたいけど持てなくて、勇気を出したい場面があるけどなかなか難しくて、
人の目が気になったり、自分のことを話すのがこわかったり。

そうやって、精一杯日々の学校生活を送っていて。
それは君たちにとって、切実でリアルな実感なんだな。
初対面の見知らぬ俺に尋ねたくなるほどに。


そんな彼らの前に立つために、俺はいくつかのことを心がけた。

まずは、『俺は君たちを見ている、そこにいるのを知ってる、その存在を大切にしたいと思ってる』と伝えること。
そのために、どんな些細な質問にもなるべく答え、取り上げられなかったものはスライドに入れ込んだ。好きな色とか、好きな紅茶とか、好きな電車まで自己紹介に入れた。

何気なく訊いたことだとしても、君の言葉はちゃんと俺に届いている。
尋ねたことに「それはね…」って返事が返ってくる、そんなことを体験してほしかった。

打ち合わせの時、「生徒数が多いから、『自分は十分に見てもらっていない』と感じる子もいるんじゃないかと気がかりです」って先生が言っていたから。
俺は、君のことを見ている。たとえ大勢の中のひとりだとしても。
そんな気持ちが届いてほしかった。

それに、俺は自分が大切だと信じていることを話にいっている。
性のことを通じて、気持ちを、願いを、いのちを大切にしていいんだよって話をしにいっている。

自分の大切なことを大切に聞いてもらうためには、まずはこっちが、相手の大切なことを大切に聞くことが必要だと思った。
好きなこともやりたいことも、その人らしい、大切なことだ。

莫大な量だから全部ではないけど、実際俺は、「好きだ」と教えてもらった音楽やアニメやアイドルなどをなるべく観たり聴いたりしてから講演に行くようにしている。
ほんの一部だけしか触れられず、全部できないのはとてももどかしいけど、その人の世界に触れようとしているという心の在り方は、多分発信をするとき、自ずと構えや雰囲気として滲み出るものなんじゃないかと思っている。


もう一つは、『本音で語ること、誠実な大人として彼らの前に立つこと』をなるべく頑張った。
学生の頃の俺は真面目な生徒だったけど、正直、大人を大して信用していなかった。先生も親も忙しくて、俺たちのことなんてそんなに気にかけてないやろって思ってた。
拗ねて強がっていたけど、でもやっぱり、今思えば寂しかった。

だから、本気で相対する大人として、彼らに出会いたかった。
普段近くにいてくれる先生や親は生活があるから、忙しくて日々子どもたちに真剣に向き合うって難しいかもしれない。でもそれなら、外から来た俺が、ガチンコで出会う大人のひとりになろうって。
そのために質問にはガチで答えたし、体験談も痛みも願いも真摯に語った。もう丸出し。
こんな風に大人が本気で本音でぶつかることで、「君たちを尊重したい、重要だと思っている、舐めてない、なぜなら君たちは大切だから」って伝えたかった。

やってみて思うけど、大人がガチで向き合うって、相手をそれだけ尊重していることを伝えるとても重要な在り方なんじゃないかと感じた。

俺たち大人は忙しいから、つい「はいはい」って子ども若者の話をいなしてしまったりする。
俺だってやってしまうこともよくある。

でも、できる時はなるべく真剣に向き合いたい。
好きなものに耳を傾け、わからないことは質問し、癇癪を起こしたり怒ったり悲しんだりしても、そうなった理由を尋ねたいと思っている。
そうして育んだ「大人が真剣に向きあってくれた」という体験は、その子の自信や誇りになるんじゃないだろうか。


というわけで、そんな思いをなみなみ湛えて臨んだ講演を終えました。
終了後は、連日の夜更かしが祟って数日寝込んだ。よくある。笑
生活と講演のバランスを取るのは大事なんやけど、でもその子達には今しか会えないって思ったら、ぐんと力が入ってしまうんよね。頑張っても寝込まないように、もっとタフになりたい。


まぁいろいろ書いてきたけど、これらは全部俺視点なので、実際子どもたちにはどんな風に届いているかは俺にはわかりません。
「暑苦しいおじさんだなぁ」とか思われてることも大いにある。自分が学生なら思いかねない。笑

だから、独りよがりかもしれないんだけど。

でもこれは、俺が信じてやっていくことだから。これからもできるだけ、本音を晒す、明かして出会うことを大事にしていきたい。

「あなたは、俺がこんなに真剣に向き合いたいと思うくらい大切な人」というメッセージが、いつかどこかで、伝わっていったらいいな。

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