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海底を歩く

先日吾郎さんと話していて、ふと、「海底の時間」という言葉が口をついた。

俺は、大学を卒業後ない内定で半年ほど引きこもり、ほぼ鬱のニートだった時期が1-2年ほどある。その後もいろいろあって、20代の多くの時間、鈍く光るような日々を過ごした。

今振り返ればあれは、海底にいるような時間だった。

誰も自分を見ていないような、隣に人はいても誰ともどことも繋がっていないような。
心もとなくて暗くて静かで先は見えなくて、底にいるのにそれでもなお沈んでいくような、言葉にし難い時間。

「海底」を知る人かどうか。
俺が誰かと関わり、そのひとに強く惹かれるかに、実は大きく関わってくる要素な気がする。

海底を知る人が内に秘めた、独特の静けさ。謙虚さ。
海底を歩いたことのある人の、そのタフネスや、自分は弱い一つの小さな存在で(も)あるという、自己卑下ではない冷静な自己認識。

尊敬すべき、そして愛すべき、その感覚。

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