「やりたくないことをやらない」を本気でやるために

自分の「嘆き」を大事にしようぜ、みたいなメッセージがバンバンきてる気がする。

嘆きのサークルに招かれたり、自分の小さな声を大事にする場で「モヤモヤすること」がテーマになったり、体調不良で嘆かざるを得ない感じになっていたり。
そういう時期っぽいので、これは乗っておきたい。よっしゃこい、嘆き。

今日は、小さな声を聞く会の2回目。

普段語られない、
自分らしくない・言っても仕方ない・これは絶対言ってはいけない、
そんな自分の『一番蓋をしたい声』を、仲間と協力しながら見つける時間。

それが終わった後、なんとなくすっきりしたというか、安心した落ち着いた気持ちになり、元気になっていることに気がついた。
俺は今まで、痛みは願いにつながるためのステップと捉えていて、感情的な揺れを掴んだらその裏の願いにパッと向かおうとしてたんだけど、今日はなんだか違う感じがして。

なんか、寂しいとか、もうやだとか、やりたくないとか、疲れたとか、ムカつくとか、不安だとか、それ自体も大事なんだと気がついた。

ただのアラームの役割ではなく、感情や気持ちそのものも大切にすること。
スペースをとって味わうこと。
なにより、皆でいっしょに行くこと。
それにとても癒されたように思う。

ちなみに、今日俺が「言っちゃいけない!」って強く蓋をしていたのは、「いま全然幸せじゃない」ってこと。
仕事の話をしたんだけど、残念ながら今俺は、全然幸せじゃないんだって気がついた。
ちょっと言葉がきついので語弊があるけど、ニュアンスとしては『こんなもんじゃない』『もっと別の形があるはず』って感じ。

もっと心が震えることをやりたいし、
そのために実際に足を運んで学びを重ねたいし、
心震えながら十分にお金だって仲間だってほしいし、
ぎゅうぎゅうのスケジュールじゃなくてたくさん休んだり遊んだりもしたい。

今やってることも頭では価値があると思ってるけど、やっていて苦しい。忙しすぎる。追われすぎる。不安すぎる。自信を無くしすぎる。
やりたくないことはやらずに、もっとやりたいことだけして、願いを叶えて、幸せに働き生きたい。それを望むこと・手に入れることを、自分に許したい。

こんなこと、言うことさえダメだって思ってた。

怠け者で人でなしで落伍者って思われてしまうって。誰に?「みんな」に。

でも、思ってる、確かにあるんだから、言うくらいしなきゃ変になる。
実際最近変になってたのは、多分この辺に蓋をしてたからだと思う。

ほんとは俺、しんどいんだ。やりたくないんだ。
休みたいし遊びたいしリラックスしたいし安心したいし心震えたいんだ。もっと。

そんな今を認めるところから、ゆっくりやっていきたい。

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