俺たちは皆かけがえがなく大切で、素晴らしく美しい

師からすっげーいいこと聞いちゃった!!

『悲しみは変えられないもの(=どうしようもないこと)に対して、
怒りは変えられるもの(=こんなのおかしい!変わるべきだ!!)に対して沸く感情』

なんやって!!!

へぇぇ〜〜〜〜〜〜!!!!


心理学の世界なんかだと、『怒りは二次感情で、その奥には恐れや悲しみがある』なんて話を聞く。
でも、俺としてはその話を初めて知ったとき、概ね同意しながらも、「悲しみや恐れに根付かない怒りもあるくね?」って思ってなんとなくスッキリしない思いを感じてたんよね。

あー、やっぱそーか!!!
反応としての怒りだけじゃなくて、悲しみや恐れと同じように、願いに直結する怒りだってあるよな!!!

あースッキリ!!!


って、なんでこんな話してるかというと。
今日ね、今まで馴染んで来た、嘆きや悲しみから願いにつながるルートだけでなく、怒りから願いにつながるルートも見つけたんだよ。

見つけたっていうか、今日初めて明確に自覚して、怒りから願いを見つけたの。
新鮮な体験だったし、忘れたくないのでメモ。


なんの話でその気づきを得たかというと、俺の姉の話なのです。

プライバシーがあるので詳細は伏せるけども…

長女である姉が、幼少期から大人たちから厳しく接されたり、なんだか軽く扱われることに、俺は長らく胸を痛めていて。
先週末に帰省した際に、それを感じさせるようなやり取りを家族内で目にして、いよいよ辛くなってしまったのね。

帰省は楽しかったけど、俺は姉の件がずっと引っかかっていて、今日までずっとブルーだったんですよ。

今日、ちょっと師に状況を話せる機会があったので、事の顛末を話して読み解いてもらったところ、俺はずーっと、姉が理不尽に扱われることがめっちゃ嫌で、誰も姉を守らないこと(自分も含めて)にずっと怒ってたと知った。

あんなに繊細で優しい人が、雑に扱われていいはずないやろ。
姉にいろいろ言いやすいからって、自分のイライラやソワソワのはけ口にするなよ。
姉に責任押し付けんと、自分の痛みは自分で持て。
自分の真実につながれ。親も誰も彼も全員自分を生きろ。人に責任押し付けんな。

そんな風にめちゃくちゃ怒っていた。

そして、怒る俺に師は言った。

「その辺に、願いがある感じがするね。」

その一言で、ハッとした。

そうか。
俺は、自分の本当の気持ちを見ようとしない、大切にしようとしない、それどころか人にその責任を押し付けるような態度全般に、すごく怒っていたんだ。
その裏にある願いはつまり。

『人は皆、自分の真実につながって、自分の人生を生きる力があるはずだ。皆、唯一無二の存在の美しさがあるのだから、自分の美しい命に責任と誇りを持って、真実から生きられる人がこの世に溢れてほしい。そんな世界であってほしい。』

どうやら俺は、唯一無二の自分の真実を生きる事の、正しさ美しさを心底信じているらしい。

だから、自分の感情やニーズを、自分のものとして責任を持たない態度に強い怒りを感じていた。

責任を持たずに、弱い立場の姉に自分の感情をぶつけて傷つける大人に怒っていた。
姉は姉で、他者に自分を傷つけさせることを許し、自分自身を守らない姿に怒っていた。


自分を誇れ。傷つけも傷つけさせもするな。
俺の大切な、そんなに美しい唯一無二の存在を、誰にも雑に扱わせるな。

俺たちは皆かけがえがなく大切で、素晴らしく美しいのだから。


そんな、存在への願いが聞こえたとき、ブルーな気分が一気に軽くなった。

ひとまず、姉には大切に思っていることや、雑に扱われている姿を見ることに深く胸を痛めていることを伝えようと思う。

多分俺は、姉が思っているよりずっと姉のことが好きみたいだから、それは明かしておいた方がいいだろう。


あー、身内と話すって緊張するけど。

いい時間になりますように。

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