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自分をスピな人間だと認めたくなかったけれど

スピリチュアルと言われるものが好きじゃない。
正確にいうと、その周りの空気感っていうか人の感じとかが好きじゃない。

二言目には前世とか魂の約束とか浄化とか星の巡りとか天上で決めてきたとか言われるのが好きじゃない。
そういうことを自分で思って自分で感じるのはいい。でも、こちらから尋ねてもないのに人から言われたり判断されたり決めつけられたりするのは、ほっといてくれやと思うし、だいぶうんざりする。勝手に決めるなと思う。

とかいいつつ、自分はかなりスピリチュアル寄りな人間だと思う。
感受性は繊細だし、目に見えないものも当然あるやろと思っている。人と話せるんだから、木や花や風や猫ともやりとりくらいできるだろうと思っているし、体がなくても魂は続くし、輪廻もまぁあるやろと思っている。

占いやセラピーやヒーリングやエネルギーワークには親しんできたし、だいぶ色々受けたしいくつかは自分でも使えるようにと習ったものまである。

それなりに使えるし、便利だと思うから使う。
役に立てそうだと思ったら、他者に提案してみて歓迎されれば分かち合ったり、リクエストがあれば応えたりする。
つまり、中身・コンテンツ自体は、それなりに好き。

やはり取り巻く雰囲気とか見え方とか、人の感じとかが苦手なんだと思う。
いろんなところに行ったが、どこでも友達はできなかった。

多くの人からは、生活感やその人らしさというものを感じなかった。現世の自分の意思や自分の生活を生きているというより、切り離して、スピの世界に自分を任せきりで生きている人が多く見えた。それが居心地が悪いし、みんな同じ顔に見える感じがなんだか気味が悪かった。(これは完全に俺の偏見だけど、場によってはほんとに似たような表情をしている人が多い。意思を感じない目とか微笑みとか。)

あと苦手なのは、「地球に遊びにきた」とか「人生は楽しむため」みたいな考え方。そんなはずないやろこんな凄まじい世界やのに。

誰もが持つものではない、感じる力や癒す力を、自分のためだけに使うことに違和感があった。自分の健康とか人間関係とかお金とかそんな話ばっかりで、世界平和とか不平等とか、どういうものにどうしてエネルギーを使わないのか、そもそも興味さえ持たないのはなんでだよって思ってた。
(だから、波動が高い低い、みたいな話も嫌いだ。実際高低はあるのかもしれないが、それで他者を低いとジャッジするとか、不浄のものには触れない、みたいな考え方の方が卑しいと思ってしまう)

俺にとってのスピリチュアルな存在とは、イエスキリストや仏陀のような存在。
すごい力を持っているのに、権威や権力と距離を置き、在野に留まって民衆と共に日常を生きた人。

俺が好きなスピリチュアルリーダーは在野の人が多い。
今の師のひとたちやその師たちや、宮沢賢治とか。
一般社会で、一人の民間人として、みんなと一緒に生きている。そんな風でいたい。

スピスピした空気感に苦手意識が強すぎて、今までは自分のスピリチュアルな部分も嫌ってきたし、これがバレたら他者からも当然嫌われるって思ってきた。
でもそうじゃない体験を立て続けに積んでいる。
そのおかげで、自分の中に確かにある部分を認め、育てることにも少しずつ前向きなれてきた。

俺にとっては、目に見えない世界はめっちゃリアル。自分の日常の一側面。
在野で、すごく現実的なところに身を置きながら、野良スピ人として生きていく道を探りたい。


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