大森靖子について無責任に、浅はかに語る
大森靖子の曲は「許す/許せない」の曖昧なところで行ったり来たりする気持ちをスッと掬い上げてくれる時があり、私はその一点だけで大森靖子を信頼したいと思える。
この歌詞なんて説明する必要がないくらい、巧みに人間関係を表している。
許せない自分と、できる限り現状維持のまま相手と人間関係をやっていきたい自分。
相手を許さないことが自分にとっての傷になることをわかっているし、許してしまったらその選択が傷になる。
そんな判断すらすぐにつけられなくて自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった末に「どっちもハズレじゃん」と悟ったときのやるせなさを「どーっちだ」という手遊びにのせて歌ってしまう器用さ。
KEKKONのこの歌詞も、自分の中で「気にしないこと」にした記憶が時間差で膿んでくるようなあの瞬間を思い出す。大森靖子によって、自分の感情が昇華されたと錯覚してしまう。(もちろん錯覚は錯覚でしかないので、膿んだまま存在している醜い感情に向き合うハメになるのもセットだ)
「過去のことは気にしない!振り返らない!」みたいなポジティブなメッセージが是とされがちな世の中で、感情の繊細な時間感覚まで捉えて歌にしてしまう大森靖子の感性には本当に尊敬しかない。
この曖昧な部分を大切にしている大森靖子の曲たちから私は"優しさ"を連想する。優しさといってもたくさん意味がある。
私が特に感じるのは2の"他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである"という意味での優しさ。
大森靖子は世間で「持たないほうがいい」とされがちな感情を、取りこぼさずに歌い上げる。その細やかさこそが優しさだと私は言いたい。
最後に付け加えるとするなら2つ。
大森靖子はあくまで底に沈んだ感情を掬い上げるだけの存在で、その感情の処理の仕方は自分で見出すしかないンだぞ、ということ。
歌詞を抜き出しても意味がないくらいに、大森靖子のパフォーマンスは素晴らしいこと。
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