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タイ語が話せるまで

私がタイと関わることになったきっかけは、日本からの出張でした。
今から30年近く前の話なのですが、30歳の誕生日を迎える前の私にとって、毎日が驚きと楽しさのひと月半であり、その後の人生を大きく変える時間になりました。

タイ語はもちろん、英語も話せない私が、いきなり外国に行って何ができるのか?
出張先はバンコク郊外の工場で、工場は私が勤めている会社とは別のローカル工場でした。
専属の通訳はおらず、タイに移り住んでいた支店長が、朝晩のミーティングに出てくれてタイ人を交えてタイ語と日本語で業務連絡を取り仕切ってくれていました。

仕事が始まると私はまったく一人で現地のワーカーたちに混じって、製品の出来不出来を確認する業務だったのですが、言葉が通じないのはどうしようもありません。

とは言いつつ、物事を深く考えないで出たとこ勝負な私の思考回路では、それ以上考え込むこともなく、
「ま、なんとかなるわな」
怖いもの知らずの若気の至り、と今ならそう思いますが、本当になんとか自分の役目を果たすことができたのでした。

その後も何度かのタイ出張を繰り返すうちに、私はごく自然にタイ語を覚えて話すようになっていました。

仕事中、周りのタイ人が喋るタイ語を耳で聞いて、耳に残るフレーズや気になる音を真似して喋ってみると、タイの皆さんが大いに喜んでくれてタイ語を話すことが楽しくてしょうがない!という日々でした。

私は子供の頃から人の口癖や変な言い回しがとても気になる子供でした。
大人の会話の中で気になるフレーズを真似するようになっていたのですが、タイ語もまさにそのパターンで覚えました。

「アライコダーイ」

私はこのタイ語のフレーズが耳に残り、私も「アライコダーイ」を言いたくなりました。
やがて、タイ人が「アライコダーイ」を言うタイミングから、どうやら「何でも良いよ」という意味である、と私は推察し、支店長に確認したらまさにその通りでした。

อะไรก็ได้(アライコダーイ)
今ではタイ文字で読むことが出来ますが、当時は耳で聴いて気になった「音」として覚えた言葉でした。

同じように気になるフレーズを音で覚えて真似してみると、私の発音は意外と正しいと褒められることもあって、ますます私はタイ語の世界に興味を持ち、さらに深くタイ語を知りたいと思うようになっていったのでした。

実際にタイで生活してみると、タイ語の単語を覚えるよりも、自分の意志を相手に伝える言葉がとても大事だなということを肌で感じました。

イエス・ノーの意思表示はもちろん、結論からはっきり伝えないと相手に伝わりません。
日本語の文法では最後に意思表示をしますが、頭に浮かんだ日本語をそのままタイ語で話そうとすると相手に上手く伝わりません。

自分が何をしたいのか?
相手にどうしてほしいのか?

これだけを伝えるタイ語を覚えると、タイでの生活がすごく楽になりました。

あれから幾年月。
まだまだ完璧とは言えませんが、仕事でも困ることない程度のタイ語を話せています。
タイ語学校で基礎からしっかり勉強したほうが良いのですが、私の場合「習うより慣れろ」でタイでの生活から必要に応じてタイ語を覚えていったので、順番が逆のようですが、読み書きも出来るように日々勉強中なのであります。



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