見出し画像

何をみても恭梓朗を思い出す

■2022/10/21 恭梓朗は死んだ。


恭梓朗は死んだ。安らかな死体となり、燃え尽きて骨となった。

何かを「撮る」というときに、どこまでやれば「撮り切る」と言えるのだろうか
その問いは、私の写真家としての根幹だった。

少し振り返る。

私と恭梓朗は、10年弱の付き合いだった。エンボイのライブを何度も撮ってきた。
その中で2017年からライブ以外のあいつを撮るようになった。
夜の街灯の下、夜の中洲の路地、夜桜、色々撮った。


2020年初頭、あいつが癌であることを知った。世の中が567で震え上がる頃、私はあいつに連絡して今こそ撮ろうと伝えた。
あいつは二つ返事で快諾してくれた。誰もいない西公園の夜桜を独り占めした。
撮れた写真を見て、「これを遺影にしましょう」と言ってくれた。嬉しかった。

遺影にしようと言ってくれて嬉しかった


私は「生きてたらまた来年も撮ろうや」と言った。
こうして、毎年遺影撮影をすることとなった。
2021年も夜桜で撮影した。2022年は、猫と月が始まっていたのと私自身が忙しかったのもあり夜桜はやめて夜明けの海で撮ることになった。

猫と月で働く恭梓朗


2022/05/28のことだった。この時点で声は出てなかった。
6/11の四次元でのライブまでに声を戻したいなぁと言っていた。結局、その願いは叶わなかった。

2021年撮影
2022撮影 結局これが遺影となった

6/11の四次元でのライブは、四次元史上最高の動員だった。
一目見たいと思う仲間たちが集まって場内はパンパンだったし、入りきれない人間が廊下までいた。

一人残らずあいつを見つめていた。


そして、9/8
次は夕日で撮ろうと提案していた。この日、昼に恭梓朗からLINEがきた。(以下原文を掲載)
————————————
お疲れ様ですm(__)m
今日の撮影なんですが、すいませんm(__)m
腰がいつも以上に痛過ぎて、本当にまともに動けない状態になってしまってるので、延期にしてもらえないでしょうか?
ギリギリでの変更で申し訳ないですm(__)m
ちょっと本気で車椅子も検討しますm(__)m

動ける状態になったらまた連絡しますm(__)m
本当すいませんm(__)m

————————————
怖くなった私は、すぐにあいつの家に行った。痛みでほとんど喋らないあいつと2時間ほど一緒にいた。
夕日が数分だけ部屋に差し込んだので撮った。次はちゃんと外で撮ろうやと言った。

夕日の再撮影は叶わなかった


その願いは、叶わなかった。

大阪のライブはどうしても仕事で行けなかったので、東京のライブは必ず行くぞと決めて全ての予定を調整した。
素晴らしいライブだった。命をかけて演奏していた。開演直前までの楽屋でのあいつは瀕死の面持ちだったが、一度ステージに上がると気丈に振る舞っていた。そのギャップでどうしても感動してしまったし、不安でたまらなくなった。

ライブ直前の恭梓朗
魂を燃やして演奏していた


本当に時間がなかった。

撮りたい時に撮らないといけない。
被写体は私の都合など待ってくれない。
いつだって私が被写体のために時間を合わせるのだ、時間を捧げるのだ、人生を捧げるのだ。

恭梓朗を撮れる時間は、あとどれくらいなのだろう。
恭梓朗に捧げれる私の人生は、あとどれくらいなのだろう。

もっと捧げたい。
写真家でありたい。

本気で願った。

しかし、10/8をラストライブとして10/21にあいつは死んだ。

2022/10/08 ラストライブ



死後数時間後のあいつと会った。まだ手は生暖かい状態だった。死後硬直の右手と握手をした。

あいつとの別れ


その晩、私はあいつとの約束通り遺影を選んだ。やはり最後に撮った遺影撮影から選ぶべきと思い5/28の写真にした。



お通夜で祭壇に遺影が堂々と飾っているのも目撃してやっとあいつの「死」を実感した。
あぁ、あいつとの約束を果たしたのだ。ここに私の写真の真髄があるのだと確信した。
涙が止まらなかった。それは、悲しみの涙ではなく感動の涙だったし、感謝の涙だった。
ここまで到達できたのは、恭梓朗のおかげだった。何度も心の中で感謝した。



そして、後少しでこいつとの撮影も終わりだと感じた。
お通夜も、告別式も、火葬場も撮れる限り撮った。文字通り骨の髄まで撮った。

私は、あいつを撮り切った。
ありがとう、恭梓朗
またいつか、続きを撮ろう。


■恭梓朗 四十九日展のお知らせ


恭梓朗が死にあっという間に1ヶ月が経った。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
そして、私はそれを写真に残した。

人は、2回死ぬ
まず、肉体の死
次に、忘却の死

写真には、それを食い止める力があると信奉している。
その役目を担うのが私の写真家としての矜持だと思っている。

何をみても何かを思い出しほしい



恭梓朗の四十九日のタイミングで写真展をします。
みんなであいつのことを思い出して献杯したり醤油ラーメン献食しましょう。

HBK!写真展
「恭梓朗 四十九日展」

12/7 - 12/18
猫と月
@neko_to_tsuki2021
21:00~6:00 (不定休)
〒810-0005
福岡県福岡市中央区清川2-1-21 1E

・通常営業中なので、「要注文」です。

・最終日はリボルブのYAGIくんにアコースティックライブをしてもらいます。

12/18 acoustic live
Open 20:00
Start 21:00くらい


■四十九日展を終えて


恭梓朗の四十九日展が終わった。


私の中で10/21から続いた「恭梓朗の死」に一区切りをつけることがやっとできた。
本当に本当に大事な展示だったので、無事終えて感無量だ。

振り返る

■振り返る

12/7
恭梓朗の四十九日にはたくさんの人が見にきてくれてあいつのことを思い出してくれたと聞いた。
(最後まで在廊するか悩んだが、写真を必要とされる以上は撮影を優先したいと思い私は東京に行った)

たくさんの人から連絡をいただき私の話を交えて写真が見たいと言われた。その度になるべく時間を割いて猫と月に足を運んだ。
おかげでものすごく睡眠時間は削られたが、悔いはない。

12/18
10/23の告別式で恭梓朗の前で手向の歌を歌ってくれた時から絶対にリボルブのyagi君に写真展の締めで歌って欲しいと思っていた。

2022/12/18 写真展の締めに


あの日、あの場所で自分が何者であるかを示した彼を最大限共感した上で尊敬したからだ。

2022/10/23 この時、表現者として歌ったyagi君を心から尊敬する。



表現者は、エゴを貫かねばならない。
歌わなければ歌い人にはなれないし、撮らなければ写真家になれない。
あの局面でそのエゴを貫いた彼を心から尊敬する。

改めて、yagi君ありがとう。これからも歌い人であってください。


そして、ライブ後にも続々人がきてくれたことでアンコール1曲だけしてもらった。
あっちゃんとyagi君が共演して「世界の終わり」を演ってくれて本当に綺麗に終わった。



恭梓朗、私なりの弔いはやったぞ。

何をみても恭梓朗を思い出すし、
何をみても恭梓朗を思い出していたい

書きたいことが山ほどあるが、文才はないので割愛する

■お礼
無事に写真展は終わりました。見にきてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これからもどうかたまにはあいつのことを思い出してください。
ステッカーもたくさんの人が買ってくれて嬉しかったです。貼るも貼らないも自由ですが、いろんなとこに連れ回して行く先々で恭梓朗を知ってる人が思い出すきっかけになれば幸いです。
(ステッカー、まだ在庫はあるので欲しい方は言うてください。)

猫と月のスタッフには1から10まで全部助けてもらいました。ありがとう。

設営を手伝ってくれた清川のあなたがた、ありがとう。
ステッカー発注で大変尽力してくれたhighest printのマモ(HABANA)、ありがとう。
12/18にアコースティックライブしてくれたyagi君(リボルブ)、ありがとう
伊万里の恭梓朗の実家まで一緒に行ってくれたエンボイあっちゃん、そして恭梓朗の父ちゃん母ちゃん、本当にありがとうございました。

■告知


・片付けのタイミングの兼ね合いもあり、12/30まで展示してます。
見逃した方、12/30までに見に行ってください。
12/31に全て剥がします。

・今回展示した写真でフォトブック製作中です。
いつか販売したいと思います。

・ステッカー、まだ在庫あります。欲しい方連絡ください。送ります。
1枚 500yen
桜と海 の2種類あります。

これは、私へのサポート機能です。 次の撮影、次の次の撮影のための資金として使わせていただきます。