チャック・パラニューク, Fight club

 ファイト・クラブ、と聞けば、ブラッド・ピットがピンク色の石鹸を握っている、あのポスターをまず思い浮かべるだろう。洋画のオールタイムベストの上によく見かける傑作映画である。丸鶏にカシューナッツを詰めて殴ったというあの ”殴る音” も印象的だ。

 一方で、その原作小説を読んだことがある人はどのくらいいるのだろうか。アメリカの小説家チャック・パラニューク (1962年- ) の処女長編は『インヴィジブル・モンスターズ』(1999年)だが、出版は(1996年) の方が先である。パラニュークの  "一冊目" がファイト・クラブだったのだ。

 一冊目の出版にして、あまりに完成度が高すぎた。あまりに面白すぎた。非常に特徴的な文体――短文と改行、リズミカルに反復されるフレーズ、頻繁に挿入される豆知識、目まぐるしく変わる視点――は後の作品にも引き継がれている。映画版ファイト・クラブを「あの特徴的な文体を、原作とは異なるメディアにおいて見事にコンバートした」と評しても良いだろう。

 私は『ファイト・クラブ』を読み終えてすぐ、パラニュークの邦訳書を全て取り寄せた。

・ファイト・クラブ Fight club (1996年)池田真紀子訳 ハヤカワ文庫 1999
・サバイバー Survivor (1999年)池田真紀子訳 ハヤカワ文庫 2005
・インヴィジブル・モンスターズ Invisible Monsters 池田真紀子訳 早川書房
・チョーク! Choke (2001年)池田真紀子訳 早川書房 2004
・ララバイ Lullaby (2002年)池田真紀子訳 早川書房 2005
・インヴェンション・オブ・サウンド The Invention of Sound (2020年)
 池田真紀子訳 早川書房 2023

 このうち『インヴィジブル・モンスターズ』のみ、中古価格が高騰していたために、電子版を購入した。(ありがとう、電子復刊)

 一週間あまりで全て読んでしまい、周囲に「パラニュークすごいよ、パラニューク」と布教してまわりたくなったのだが、いかんせん、周囲に友人など一人も持っていなかった。行き場を失った "伝えたい欲" がこうして記事を書かせたのである。

 パラニュークについて調べてみると、はじめの三冊、『インヴィジブル・モンスターズ』、『ファイト・クラブ』、『サバイバー』の評価が高かっただけに、それ以後の作品はぱっとしない、との意見が目に入らないこともない。実際、最新の邦訳『インヴェンション・オブ・サウンド』のインパクトは初期作品に比べてややと劣るように感じる。その点についてジャン・コクトーや、フィッツジェラルドや、スタインベックのような尻すぼみ型キャリアでないことを祈る。初期の作品を遥かに上回る新作を心待ちにしている。

 パラニュークのマイベストは『サバイバー』だ。
 特徴的な文体、執拗なトリビア挿入、あの悪魔的な魅力を持つ反社会性、 Tom Spanbauer (1946 - ) に教えを受けた "dangerous writing" を踏襲しつつ、それらを魔術的リアリズム、あるいはラ・プラタ幻想と融合させた一つの新境地であると思う。この記事で内容の考察にまで、踏み込んでしまいたいが、予備知識無しに読んだ方が面白いのだ、アンビバレンツ。

 主人公は、人民寺院やアーミッシュをミックスしたようなカルトの "生き残り" である。人民寺院と書いてしまうだけである種のネタバレになってしまう。この物語では、主人公は富裕層向け家事サービスのプロフェッショナルだ。アーミッシュの主な収入源の一つは有機野菜の販売だが、この物語のカルトでは家事サービスに隷従する人材……いや、ここまでにしておこう。物語は書き出しからフルスピードで、ラ・プラタ幻想的な世界を経由し、見事な伏線回収……いや、やっぱりもうこれ以上は書けない。

 パラニュークの作品に共通するモチーフは、反社会性、暴力、(病的心理を含む)依存症、セクシャルマイノリティ(パラニュークはゲイであることを公表している)である。映画のファイト・クラブの印象から、マッチョイズム、男性性賛美的な作家であると受け止められがちなのかもしれないが、あからさまにマッチョマッチョしているのはファイト・クラブだけである。カオス、反秩序、社会への反撃のための一手段がマッチョだったに過ぎない。『インヴィジブル・モンスターズ』では女性への憧れが一つのテーマになる。

 パラニュークを教えた Tom Spanbauer の創作法では、著者の身の個人的な痛み、叫びを開示することを重視しているのだが、パラニュークの作品において、それらは巧妙に登場人物の痛みとして塗り込められている。しかし、物語の速度が早く、かつ様々なトリック、技巧が多用され、特に伏線回収と、どんでん返しの巧さがエンターテイメント性を非常に高めているために、私小説めいた "ウェットな吐露"、"文学のための吐露" は、ほとんど見つけられない。本人が述べるように、形容詞ではなく動詞を重視した書き方が、小説をドライブしているのだ。

 『ファイト・クラブ』を読んで、それから『サバイバー』を読んでみるのがおすすめ。ここまで書いてきたけれど、「パラニューク読んでみて。『サバイバー』、すごいから」と誰かに言いたかった、たったそれだけのことである。

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 勢いで書いてしまったので、なんなら目標1000冊、という読書メモを書いてしまおうと思う。今回はパラニュークで6冊。次回はジーン・ウルフ、新しい太陽の書で5冊+1冊か、あるいはブコウスキーの小説と書簡集で10冊に、しようか。
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