赤ずきんちゃん(1/30)

 レイチェル、私はお前のことをよく知っている。その名前が偽物だということも、その顔に貼り付けた微笑も偽物だということも知っている。私とは長い付き合いだ。レイチェル、お前は十七世紀の生まれだ。しかし私も年齢ではお前に遜色ないのだよ。お前はあどけない生娘のふりをしているが、二百年以上も生き続けてきた。どれだけ森の獣を殺してきたんだ? どれだけ人間の死を看取ってきたんだ? すべてお前自身の歪んだ生のために犠牲になったと言っても良い。なぁ、レイチェル、お前は無理矢理に引き伸ばされた、薄い生を生きている。今にも破れそうな、月の光さえ透けるような薄さだ。かつて小さな可愛らしい少女だったころ、そう、まだ赤ずきんと呼ばれていた頃、お前は本当に子どもらしい子どもだった。極貧の中にあれど、その心がすり減ってしまうことはなく、憎悪も悲哀も羨望も絶望も、おそよ活き活きとした感情を持っていた。だから私はお前を喰らおうとしたのだ。懐かしい。あの古い木こり小屋、癩病の老婆、若い狩人、そしてお前。あの井戸の冷たさも覚えている。私は石にくくりつけられ、深い闇の底に沈められた。切り取られた丸い空。お前が乗せた石蓋。寓話らしい寓話だ。楽しい日々だったよ。

 だが、今はどうだ、レイチェル。お前の心は空っぽだ。そこにはなんにも残ってはいない。お前が悪魔に助力を乞うて以来、お前の魂そのものが、人生とともにすっかり希釈されてしまったのだ。矜持どころか意思も失くしている。いかにして生きるべきか途方に暮れている。群れからはぐれた子羊のようだ。夜中、猟具の手入れをするために、お前が小屋に一人でいる時の様子といったらどうだ。時々、手を止めて動かなくなるだろう。まるで命を持たない人形だ。演技を止めた、舞台裏の糸繰り人形だ。お前は何も望んではいない。心の熾火まで消えてしまった。お前の目に光はない。二世紀と半分という年月は、人の身にとって、長すぎるものだったのかもしれない。お前の羅針盤はとっくの昔に塵に還ったのだ。目的地も帰る場所もなく、自分自身を騙しながら、この世をさまよっている。

 お前はあの悪魔に時間を望んだ。それが悪かったのだ。残念ながら、悪魔は復讐の女神ではない。女神フリアエたちのように、罰を下すことを本分としている訳ではない。奴らは単なる高利貸しだ。舌先三寸で人生を奪っていく。魂の見返りなど有って無いようなものだ。お前が安直に魔弾などという代物を望まなかったのは、賢い選択だったのかもしれない。だがお前の望み自体が大きすぎたのだよ。狼の十三支族は大陸中に散らばっている。十八世紀初頭には新大陸にさえ縄張りを広げた。十三の族長の根城は杳として知れない。結局、お前は二世紀の間に二匹の族長を仕留めただけだった。お前の魂も決意も、願望に対して脆弱すぎる。言葉だけで山は動かない。かと言って、一人の手では、小さな塚を作るのが精一杯だろう。お前にも信仰があれば奇跡が起きかも知れないのに。

 いや、私はお前のことをあまり厳しく責められまい。私も同じく、あの悪魔に命を望んだのだから。人でも獣でもない、リュカントロポスとしての命だが。一六世紀、あの頃、森にはまだ様々な神秘が渦巻いていた。シュヴァルツヴァルトの奥深くには、本物のリュカントロポスも居たのだ。彼らは生まれつき人狼だったのか、悪魔か精霊の手により姿を変えたのか、真相は明らかでない。だが、私が会った一人は、リュカーオーンの子孫だと嘯いていた。ギリシャ神話の末裔だとね。大昔はに比べると、今の世は味気ない。人が増え、文明の火が広がり、とうとう機械なるものまで現れた。私のカソックコートでさえ、大英帝国の機械織りだ。

 悪魔はこの世から手を引きたがっている。事業全体を清算するために、強引な取り立てすら始めている。リストの一行目から始め、とうとう残り数件というところに至ったようだ。俺もお前も長くないのだ、レイチェル。終わりは近い。二十年ほど前、私は神学の師、聖ディオゲネスとひとつの結論にたどり着いた。我らが悪しき神は、創造物を見捨てようとしているのだよ。単純に飽きたか、あるいは他に理由あってかは分からぬ。だが何が起こるか、明瞭に予測できる。不可思議の領域にある者はみな消え去るのだ……。

 大聖堂の鐘が鳴っている。そろそろ夕刻だ、レイチェル。盲目の鐘つき男が、擦り切れた手で大鐘の綱を引いている。ステンドグラスの黙示録が、赤い斜陽を背に浮かび上がる。もうじきに、災厄の四騎士が降り立つ。天使が七つの喇叭が吹き鳴らす。すべての魂、すべての行為、すべての歴史が裁きを受ける。

 レイチェル、すべてを終わらせる前に、私はひとつの事実について、語らねばならない。私は癩病の老婆の腹を借りて命を得たのだ。年老いた狼としての生を捨て、六百六十余日、萎びた子宮に眠っていたのだ。お前が深い森の道を抜け、老婆に届けたパンは私の肉となった。お前がミサで手に入れた葡萄酒は、私の血となった。お前があの木こり小屋に持ち込んだものは余さず私となった。キイチゴや胡桃ばかりではない。お前が花瓶に活けた名前のない野花でさえ、老婆は貪り食った。私が私となるまでの時間は、永遠のように感じられたよ。ひどい苦痛に満ちていた。老婆は真夜中になると這いずり出て木の根すら齧った。土臭い蚯蚓、飛蝗、土竜の死骸。それらが胃に入ると、羊水にさえ悪臭が滲み出たものだ。私はなんとも惨めだった。そして待ち望んだ誕生の時、リュカントロポスとして受肉し、老婆の腹を切り裂いて光を臨んだ日、お前がやって来たのだ。私は震える身体を、すぐに崩れ落ちそうな華奢な身体を奮い立たせ、老婆の残骸を咀嚼していた。ああ、私は歓喜に震えていた。悪魔にまで望んだ肉体。小指の先まで、全身が歓喜に震えていた。喜びの最中、血に塗れ、老婆の頭蓋を割り脳髄を啜っているとき、お前が戸口に現れたのだ。そこから先は、お前が知るとおりだ。

 まだ鐘が鳴っている。鐘つき男は存外に粘っている。お前が悪いのだよ、レイチェル。昨晩、マスケットに、鉛と一緒に銀貨を詰めてあったろう。そのおかげで血が止まらない。私は已む無く血を啜る羽目になった。祭壇に伏している司教も、パン焼き場の尼も、裏庭に転がっている小僧も、お前のせいで死んだのだ。命あるものは命のために血肉の犠牲を要する。ああ、鐘がまだ鳴っている。日は暮れようとしているのに、鐘は鳴り止まない。無粋な乱打だが、今日は神もお許しになるだろう。オルガンがあれば私も何か弾いてやれるのにな。昔は、フランス中に立派なパイプオルガンがあった。私は神学校時代に、校長から弾き方を学んだのだ。休日には教会を周ってよく弾かせてもらった。しかし革命のとき、民衆は多くのパイプオルガンを教会ごと焼き払ってしまった。稀代の匠の手による芸術が灰と化した。私は瓦礫の山を前に立ち尽くした。レイチェル、人間とは、どれほど愚かになれるものだろうか。

#逆噴射プラクティス #小説

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 メモ

Word(40×40の縦書き書式)で書いたものはnoteでは読みにくい。
 現在の所、カクヨムの縦書き表示が最適だろうか
(https://kakuyomu.jp/works/1177354054887275282/episodes/1177354054887594026 )

執筆ツールや掲載媒体によって、無意識のうちに文体が変わる。
それどころか、ライト⇔一般文芸の境すら越えそうなほどに、物語全体が変容する。縦書きが好き……(∩ˇωˇ∩)

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