異界神話体系 間話1.5話

 統括局を代表して諸君にお祝い申し上げる。第二の人生の門出だ。諸君は皆、それぞれの人生に倦んでいた。差異はあれど、生きながら苦しみ、憎み、悲しみ、逃れようと足掻くも、己の無力さと運命の理不尽さに押し潰されていた。前進を望み、才能を欲し、人生をやり直したいと願った。あるいは自分ではない誰かになりたい、すべて投げ出したい、逃げたい、死にたいと望んだ。だがそれらが叶うことはなかった。幸か不幸か、救済への渇望は、我々の投影局へと届き、神々の意志のもと、諸君がここに至る道となった。

 この世界は諸君の故郷とは隔絶されている。もと居た世界に似たものを見ることもあるだろう。想像もできなかったもの、信じがたいほど奇妙なものを見ることもあるだろう。諸君が我々の世界を見て抱く印象はどうあれど、見たままに、あるがままにある世界が、この世界である。我々が、そして神々が諸君に望むのは、最後まで主体的に生きることである。順応し、学び、適応し、足掻く。長い生の果てに、幸福を掴むか、絶望に打ちひしがれるかは分からない。しかし、この世界は主体的な生を常に強要する。振った賽の目、膝の上のパン屑、硬貨の一枚、雨の一滴、路傍の小石、海の凪、血潮、戦場の流れ矢、時には太陽の光さえ、諸君に強要する。

 私は統括局を代表して、お悔やみを申し上げなければならない。この大陸は諸君の故郷よりも遥かに過酷で、悪意と苦痛に満ちている。たちどころに問題を解決するような魔法や魔術の類は存在しない。心躍るような冒険や不思議は存在しない。諸君は剣を振るうことさえできない。それは重すぎて、敵を割く以前に、己の身を傷つけるだろう。井戸水に疫病が潜む。飢えと寒さが忍び寄る。指先の切り傷ひとつで死ぬことも珍しくない。形のない敵意が夜闇を徘徊している。

 とはいえ、諸君はすでに、この世界で最も重いものを、自分の墓石より重いものを背負っている。それは神意である。あらゆるものは神々により創造され、神々のために存在する。神々よりも偉大な存在はなく、神々に抗える存在も無い。我々は神々にとって宝であり、下僕であり、駒であり、玩具であり、家畜であり、贄であり、無価値な羽虫でもある。神々とは単に形而上なるものではない。ときには概念として存在するが、本質的には実存する。諸君が詮索をしようがしまいが、神々は理不尽な運命の具現として、無慈悲な世の理として、完璧に、平等に、すべての生き物の傍らに在る。諸君が地に伏し塵に帰るその日まで、生きるべき姿で生きるように、祈っている。


 順に番号で呼ばれ、一人ずつ局員に連れて行かれた。全部で十七人だった。彼らのうちで、再会した者はいない。それが神意であったから今生の別れとなった。十六番もまた局員に導かれ、幾度か階段を登り降りし、小さな部屋に通された。

 壁一面の書類棚。窓際の小さなキャビネットには円柱型の水槽が乗っていた。赤毛の女性が、部屋の中央の巨大な書斎机で薄黄色の書類に目を通していた。彼女はカップに手を伸ばすも、紅茶は殆ど残っていないことに気がついた。

 彼女は立ち上がって十六番に近づき、こう言った。
「お初お目にかかります。担当官の西条茜と申します。十六番君の隣接次元の極東アジア、逢坂府の出身です」
 それから十六番の鳩尾に膝蹴りを入れた。十六番は倒れ、痛みに身を捩った。

 茜としては全く面白くない事態だった。割り当てられたのは選りに選って十六番。十七番より悪くはないが、中途半端であるが故に質が悪い。十六番。中程度の離人症。寛解には数ヶ月を要すと予想される。今なら多少殴っても反撃の意志すら湧かないのは扱いやすい。ショックによる軽い記憶障害。一時的。これも朗報。自己の名前のみ欠落、その他の出来事記憶、知識、言語能力等に問題なし。各知能試験結果は平均。一方、専門技能、専門知識はない。自我薄弱の恐れ。種は人間。

 十六番が人であるために、同様に人たる彼女の担当になる。だからこそ忸怩たる思いがあった。人間は人類の中で最底辺に属す。他の人類と見た目に大きな違いは無くとも、神意を視ることができないのは致命的だ。彼女自身、その逆境に抗い、少なくない偏見に耐え、統括局教育部に籍を置くほどになったものの、まだまだ満足できる出世には遠かった。実績が必要だった。

 十番以上ならまだしも十六番。十分の一税に回すには根拠不十分。異端もまだ無理だ。客観的に判断して矯正教育の必要もない。端的に言えば中の下。良い結果は到底望めないが切り捨てることもできない。ならば。

 彼女はキャビネットの奥から黒い包みを取り出す。最高級のハネツキヒドラ虫羊羹である。ペーパーナイフの先で、半透明のヒドラに混じった赤い卵の粒を取り出す。水差しに胃薬の制酸粉を入れて混ぜ、卵を落とす。二分もすれば、センコウヒドラ虫が孵化する。この世界では胃弱の者にとって羊羹は禁忌だ。稀に、十二指腸まで生きたヒドラが達する。大病ではないが、数日の病院送りにはできる。

「あんた、逢坂府の名物知っとるか。イカ焼きと紅茶と串カツやで。タコ焼きとか言う奴はちょっとの間、自己批判してもらおか」

 数日の余裕があれば各所に根回しできる。きつめの教育計画と、危険度が高い見学ツアーを組んでやろう。最悪の場合、正攻法の教育を行う他はないが、担当官の過失が無い状況で事故に遭えば、ちょっとした不幸で済む。統括局教育部所属、西条茜、趣味は甘味巡りとヒドラの飼育、貯金。


#逆噴射プラクティス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?