ワールズ・エンド・セカンドハンド

 ワールズ・エンド通りから細い路地に入り、暗く、入り組んだ煉瓦の迷路を五分ほど北に歩く。すると、開業中なのかどうかさえ怪しい店が並ぶ横丁に出る。その端に、バフェット&ウォレンズ古道具店がある。

 その日は、土砂降りだった。ただでさえ薄暗い店は杳として奥行きが知れなかった。背が高いフードの女が扉を押すと、壊れたベルがガラガラと間の抜けた音で鳴った。埃と黴の臭いがする室内に湯気が漂っていた。

「これは、〈灯命のサモワール〉という品です」
 小柄で中性的な青年がテーブルについていた。白子なのか、肌も、長めの髪も雪のように白かった。彼女が一瞬抱いた印象は、こんな弟が欲しかったな、と自分でもどこかズレていると思うようなものだった。
「燃料がなくともお湯が沸きます。とても便利な品物です。使うと少しばかり寿命が縮まります。しかしお茶の時間の方が大事ではありませんか。僕は店主のイサクと申します。どうぞおかけください」

 女は古い椅子を引いて座った。イサクと名乗った青年は、無邪気な微笑みを浮かべながら、棚から白磁のティーセットと茶缶を取り出した。白磁はよく磨かれており、群青と金の蔦の模様が控えめに描かれていた。

「ボーンチャイナ。人骨などは使用しておりませんのでご安心ください。お客様がお見えになると知っていれば、お茶菓子のご用意したのですが、何分、閑古鳥が住み着いたような店でして。茶葉は正山小種。どうぞ。何か古道具をお求めで?」

 女はフードを下ろした。二十代前半。赤髪でいて、東洋人の血も混じっているように見えた。
「昨年、蚤の市で買った〈眠りの森の種〉をお返ししたいんです。買ったときの勘定書きは持っています。種のせいで大変なことになってしまって。兄は、いつでも元に戻せるものだから大丈夫だと言っていたんですが」

 これはイサクにとっては面白くない事態だった。寄りにも寄ってあれの返品か。しかしこの女、種そのものは持っていない。回収は可能であるが骨が折れる。ノークレーム、ノーリターンの旨は常に徹底して伝えている。店名を変えて出店した蚤の市の場合とて同じこと。彼は店などさっさと畳んでしまいたいと思っていた。だが道具の特性上、商品を手元に留めておくことは危険だった。足がつかないように、さっさと世にばら撒いてしまいたかった。さて、問題は、彼女がいかにしてここを突き止めたか。

「種は兄が買ったものですが……これでお店まで……」
 彼女はそう言って一本の赤い針を取り出した。〈探しものの針〉。針は注意して、単品で売ったはずだった。特に森の種の関係者の手に及ばないように。別々にぶらついていた兄妹に買われるとは、運の悪いことだ。だが、曲がり角にぶつかるたびに針を使っていたならば、駅からここに至るまで最低十回は腕に突き刺していることになる。全長の5センチ分、しっかりと。それならば相当に、困窮しているに違いない。

「残念ですが、お買い上げ時に説明させていただいだ通り、返品は受け付けておりません。別途、出張修理の形ではお受けできますが、物が物だけにお高くなりますよ。到底、あなたにお支払いいただける額ではないかと。囚われたのはお兄様だけで?」

「兄が、叔母の別荘で試して、その、私は逃げられたのですが、兄と、親戚の子供たちが……全部で四人です」
 どう転んでも骨折り損だな。面倒な仕事。

「もしあなたにその気があるのならば、まずは前金分、“事務員”として働いてもらいましょう。ちょうど、前任者が辞めたので困っていたところです。なに、急がなくても眠りの森は百年経っても変わりはしません。まずはあなたの適性を見て、二週間ほど働いていただければ良いのです。例えば――」
 
イサクはガラクタの山から大きなトランクを引っ張り出した。
「これは肉屋の鞄。〈ブッチャーズ・トランク〉」
 トランクを開いた。雑多な歯車や黒光りする何本ものナイフ合わさって一体の複雑な機械となっているようだった。

「鶏でも兎でも牛の腿でも、適当な肉を放り込んで閉じてやるとあら不思議、スライスからミンチまで自由自在、まさに肉屋いらずの活躍をしてくれます。ただし、使用後は生きた小動物を餌として与えないと暴れ、所有者を襲います。製作は一九〇一年、リヨンの肉屋と鞄屋、機械工の合作です。長い愛憎劇の末、製作者の三人は同時に愛してしまった娘をこれで屠ってディナーにしました」

 それからそれから、とイサクは次々に古道具を取り出した。〈無尽蔵の鵞ペン〉。十八世紀、貧困の只中に憤死した詩人がインク代わりに自分の血で詩を書き付けたペン、使用者の血液を吸う、インク切れ知らずの優れもの。〈希望のランプ〉、一八四五年作、油なしでも明かりがともるが、つけている間はあなたの心のは絶望で真っ暗になる。〈不貞の指輪〉、推定九世紀の作、浮気が決して見つからなくなるが、使用者に注がれるすべての愛が確実に薄れていく。〈カリブの足枷〉は一七二八年鋳造。装着するだけで地上にあっても溺れ、呼吸困難に陥る。

「と、まぁ、店先にあるものは基本的に大したものではないのですが、奥には由来、使い方、対価も不明である品々が沢山あります。あなたにしていただきたいことは、いわくつきの古道具から秘密のヴェールを剥ぐことです。探偵もどきの業務ではありません。手っ取り早くこれを使います」
 彼は部屋の隅で埃をかぶっていたベルベットをめくりあげた。

「〈覗きのタイプライター〉です。勝手に手が動いて、道具が持つ記憶を記述してくれますよ。道具が生まれた時代、製作者の意図、製作の経緯、込められた感情、使用法、求められる代償、あるいはこれまでどのような人々の手を渡ってきたか、道具が覚えていることなら何でも。これが事務員の主な仕事です」

「前の、事務員さんはどうなったんですか」
「タイピングのトランス中に失血死しました。僕が今着ているセーターは、肉屋の鞄で彼女をミンチにしたあと、〈糸繰り人形〉に食わせて作った毛糸で編みました。編み物はよい暇つぶしになりますよ。そういえば、あなたのお名前は?」

「ウ、ウェンディです……」
「ではウェンディさん、前金は二週間の労働で代替、貧血と遅効性の言語障害が付きます。その後、僕が〈眠りの森の種〉を処理しましょう。成功報酬は、そうですね、僕の実労働時間と必要経費から計算しましょう。無論、こちらも労働で返していただきます。どうなさいますか。」
 外では雨が更に勢いを増し、窓ガラスを叩いていた。紅茶はすでに冷たく、渋くなっていた。


#逆噴射プラクティス

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