太陽神になった和尚

 西暦900年頃、紀伊国、熊野灘を望む補陀洛山寺の僧、禅慧は太平洋を渡ってハワイのカウアイ島に流れ着き、太陽神ケクニマウとして部族を率いてハワイ諸島を統一した。諸説あるが、禅知はその後、再び補陀落を目指して出奔し、カリブ海のイスパニョーラ島に禅寺を建立したとも言われている。

 禅慧が著した『普陀洛彷徨記』は明治27年、ハワイ大学から補陀落山寺に寄贈され、今も本尊の木造千手観音立像内部に納められている。それは椰子の繊維で編んだ布に、炭化させた烏賊墨で書きつけられている。

 補陀落とは、仏教において南方に存在する観音菩薩の浄土を指す。わずかばかりの食料と水を積んだ小さな船で、浄土を目指し海に出る捨身行が補陀落渡海である。

 以下に続く物語は、ハワイ各地で見つかった碑文、岩面彫刻、洞窟壁画、および『普陀洛彷徨記』、そしてそれらとハワイ神話との類似点から、禅慧が辿ったハワイ統一への道を再現したものである。

【続く】

#逆噴射プラクティス #逆噴射小説大賞

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