校舎の絞首箱

 友達がいない孤独な生徒に、一人でも親友ができれば物語になる。それはたぶん、とても胸のすく物語だ。でもずっと一人のままだったら……。それこそが現実だ。現実とは永遠にひとりであることを意味する。
 小中高、更には大学、社会人と、学年や肩書は変われど、人の本質は変わり得ない。ある日突然に逆転劇が訪れることはない。明日は今日の延長だ。どんな未来も同じ直線上にある。幾つかの点に名前は付きさえすれど、君が別人に変わることはない。
 物語は辛い現実へのアンチテーゼか。現実逃避にはなる。しかしいくら積み上げても自我の防壁にはならない。同級生や同僚の嘲笑は嘲笑のまま、軽蔑は軽蔑のまま君に届く。
 君は現実へのカウンターを求めている。他人の嘲笑が渦巻く息苦しい街、共同体から逃れたいと思っている。そう願いながら建設的な、合理的な努力も無しに虚構のページを繰るばかり。フィクションは燃えてしまうのだ。原稿は燃えないと信じるのは君だけだ。煙草の火を借りて来い。それはあっという間に燃え上がって灰になる。君の夢想も同じだ。灰ほどの価値もない……。

 珍しく、机の上で眠ってしまったようだ。頭が痛い。ベルが鳴って昼休みが始まる。目をこすると、憂鬱が胸に溢れて吐きそうになった。また笑われている。見なくても分かる。いっそのこと、胃袋ごと戻してしまいたい。教室、教室、教室。この場所はまるで悪い夢だ。埃っぽい黒板、無味乾燥な時計、薄汚いリノリウムの床。制服を着た何かがあちこちに群れている。奇妙な音を立てて馬鹿笑いしている。この場所もこの毎日も地獄に他ならない。きっと火を付けても燃えることがない。無限に再生産される苦痛の機構。
 何よりも学校を満たす”あれ”が苦痛でならない。毎朝にように集まり、廊下や教室を満たし、群れ、発話し、休憩のたびに席を離れ騒ぎ出す、あの得体の知れない何かが。

【続く】

#逆噴射プラクティス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?