7月4日

 杉野君の件があった7月、教師たちも生徒たちも理由を探していた。彼はいじめられていた訳でもなく、成績もそこそこ優秀で、陸上では県大会に出ていたし、家庭にも問題はなかった。目立つ生徒ではなく、物静かで地味だった。いつも後ろ髪のどこかに、ひどい寝癖がついていた。無害な生徒。あの日も彼は至って普段どおりで、「それらしい理由」は存在しなかった。けれども、みんなは執拗に理由を探した。休憩時間、教室の隅や廊下の影で噂話が広まった。

 本当のところ、真実はどうでも良かったのだ。根も葉もない噂だって、馬鹿げた憶測だって、理由になるならそれで良かったのだろう。ただ、何かラベルを貼ってしまわないと、頭の引き出しに仕舞うことができないのだ。未整理のまま、もやもやを抱えるよりも、レッテルを貼ってさっさと片付けてしまいたいのだろう。「進路を決められなくて悩んでいた」 結局は、そんなところに落ち着いた。

 人が決断を下すとき、それなりの理由が伴う。だがその理由が、一言で説明できるほど簡単なものではない場合もある。コップに一滴一滴、水が溜まって溢れるように、様々な出来事が少しずつ積み重なって、いつか天秤を傾ける。僕は、彼の場合はこちらに近かったのだろうと思う。だから理由なんてなかったんだ。敢えて言うならば、時間をかけてゆっくりと育った重みが、彼を潰したのだろう。

 あれは7月の始めの、晴れた日だった。その時期にしてはやけに涼しくて、少し風が吹いていた。僕の席は窓側の列の一番後ろで、杉野君は僕の前の席。彼は時々、窓の外を眺めていた。退屈な教師の、退屈な数学の授業。注意されもしない、幾人かの私語。

「国語の課題、写させてくれよ、片手の音のやつ。あれ、何なの」
「俺はハイタッチにしといたけど、無音か、なんか叩くしかなくねぇか」

 両掌相い打って音声あり、隻手に何の音声ある。

「出席番号17……、杉野。解いてみろ」
 彼は黙ったまま教壇に向かい、長めのチョークを選んで、漸化式を解いた。普通の問題を、全く普通に解いただけ。彼は手の粉を払って、席に戻ってくる。ただ、椅子に座らず、虚空に吸い込まれるように窓の外に消える。初めから彼なんて居なかったみたいだ。教師は黒板に次の問題を写している。カーテンが微風に揺れている。誰も気がついていない。大半の生徒は次の問題をノートに写している。少数の生徒は次の国語の課題を進めている。数人が居眠りしている。

 理由。すべてが理由でありえたし、理由でありえなかった。空が青かったから。鳶が鳴いたから。風にページがめくれたから。アジサイが咲いたから。僕は彼の葬儀に行かなかった。彼の死を見たことを隠していたから。唯一の目撃者として目立ちたくはなかった。それに、彼が事故や事件で死んでいたとしても行かなかっただろう。

 彼とは特に親しくなかったし、行くべき理由は何もないのだから。



#逆噴射プラクティス

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