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NFT[遠い幻影シリーズ]#02「雪持ちの二人」〜制作中に起きたミラクルを語る!〜

 こんにちは、深名えじです。
 この記事にたどり着いてくださり、ありがとうございます。

 私は現在NFTコレクション「遠い幻影」シリーズを運営しています。好きなものは中国思想や漢詩、禅や日本の和柄、古典文学など、とにかく東洋文化です!(でも結局は面白ければ何でもありです)

このnoteでは、NFTコレクション「遠い幻影」シリーズの作品を紹介していきます!

では、早速シリーズ二作目「雪持ちの二人」のお話ししましょう〜🌨

#02「雪持ちの二人」

 ちなみに、こちらの作品は、私の一つ目のNFTコレクション(Allegorical Flowers Series)のホルダー様であるJ-y Egg44さん(twitterはこちら)にプレゼントさせていただきました!J-y Egg44さんは、独創的でエネルギッシュな卵のアート作品を創られており、また同時にコレクターさんとしてもNFTクリエイターヘの応援力が凄まじく大きな方です✨NFTをやられている方はフォローすることをお薦めします!!!

ではでは早速作品を紹介いたします!

込めた想い

 人生のどんな試練も、冬も、まるで前世から一緒にいるような感じがする大切な人と寄り添いあって乗り越えていきたい。

そんな想いが込められています。

では、このような作品になった過程を解説します🔍

「雪は天から送られてきた手紙である」


 この作品のきっかけは、物理学者でもあり随筆家でもあった中谷宇吉郎氏(1900~1962)のこの言葉でした。

「雪は天から送られてきた手紙である」

 この言葉を見かけた時ドキッとしました。
 どうやら、雪の結晶を観察することで天気がわかるということなのだそうですが、何かもっと文学的な意味も含まれているような気もしてしまいます❄️

 そんなことを考えながら楽しく落書きしていていました。

ボツ案

 そうしているうちに、この絵がでてきました。

草案

 しっとりと雪が花に降り積もる様子が、なんだか雪という名の宿命を背負うかのように思えてきます。
 そしてなんだか花の上部の中央の窪みが、寒い中二人の人間が肩を寄せ合っているようにも見えてきました。

空海の伝説との奇跡的な出会い

 この作品を語る上で大切なもう一つのキーワードが、イチョウです。
 イチョウを描くつもりは全くなかったのですが、パッと自分の描いた絵がイチョウとそれを支える杖の拳に見えてきたので、「イチョウ 杖」とググったところなんとこの作品にぴったりな伝説を発見してしまったんです!

 それは「逆杖のイチョウ」という伝説です。
 しかも空海の伝説!!!東洋文化好きの私にはたまらないです笑!!

 私は創作していて、こういう風に意図せず無意識に描いたものが、意図を持って動き出す瞬間に一番幸せを感じます🧚‍♂️(詳しくは、「最後に」にて語っています!)

 その伝説というのは以下のようなものでした。

 むかしむかし、空海さんは現在の愛媛県の南部の遊鶴羽(ゆずりは)というところにきていました。当時はそこの山道は険しく、空海はイチョウの枝を折って杖にし、山を降りていきました。
 そして麓で薬師堂(薬師如来を礼拝する仏堂)にたどり着きます。そこの庭に杖を逆さにして差し込み、「この杖は生きている。来年は芽が出て、だんだん大きくなるだろう」と言って去っていたようです。

(参考:愛媛県の松野町のHP)

「逆杖の公孫樹」前述のHPより

 これが、愛媛県の天然記念物に指定されている「逆杖の公孫樹」の由来だそうです🌲
 巨木ですね。。。切り取った枝がこんなにも成長したのかと思うと、生命力の不思議なパワーを感じます。行って実際にこの目で見てみたい!!!

 この伝説を知った時、一度誰かのために命を失っても、またこの世に生まれ変わって力強く生きていくというイメージが湧きました。そしてそれは、宿命を背負って、何度も巡り逢う二人が人生の冬という名の試練を乗り越えていくというこの作品に込めたイメージとぴったりと重なったんです💫🏹

 あと、個人的に英語のタイトルのSnow Destiny of Twoというのもお気に入りです🌨

雪と月と花を見たとき、あなたを強く想う

雪月花のとき最も君を憶う

殷協律に寄す(白楽天)

 
 これは、唐代の詩人白楽天が、今はもう目の前にいない友人への想いを歌った詩の中の一節です。なんというロマンチストなんでしょうか。。。

 夏目漱石の「月が綺麗ですね」という翻訳も思い出されます。

 大切な人を想う気持ち、その愛は、きっと自然を見て心が動かされる気持ちと似通ったところがあると思います。純粋なんです。
 
 似通っているし、真の無償の愛を見つけた人間は自然の美しさを知り心から味わえるということでしょうか。そういう人間はきっと自然が私たちに与えてくれる無償の愛を、自然を眺めていて発見できるのです。なぜなら自分の中にそれがあるからです。他者やものを理解できる人間は何よりも自分のことを深く理解していますからね。彼らには世界の全てがきらきらと輝いて美しく見えていることでしょう。

最後に

  ここまで読んでくださりありがとうございます!

 完全に余談ですが、前述のミラクルについてちょっと語りたいです。無意識に適当に描いたものが、意図を持つということについて、もう少し掘ってみたいです。

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 何事においてもコミュニケーションが大切だと私は思います。会話、対話です。それがないと、人は孤独になってしまい本人にとってもつまらない人間になってしまう。もったいないんです。だから、相手が自分であろうと他人であろうとモノであろうと、二者の間で円滑に気持ちを回していかないといけない。そうやって気持ちをやり取りするのが、コミュニケーションの本質だと思います。
 それが思いやりを持って接するということです。相手の気持ちを考えずに発言することはとてもリスクが伴います。両者が傷つくこともあるでしょう。相手にも辛いをさせてしまいますが、自分も辛いです。だから、常に相手の立場に立って考えるということが、何よりも大切なんです。それが、人の間に生きていく人間のやるべきことだと思います。

 モノであってもです。モノの気持ちを考えて丁寧に扱う。これが大事です。私はよくモノをなくしてしまうんですが、モノとの会話がまだ下手だなという実感があります。もっと思いやりを持たないと!本当にごめんねという気持ちでいっぱいです。。。

 それが、相手が絵であってもです。絵と会話することが大事なんです。描かれる絵の気持ちも考えずに、私がやりたい放題に描いても、それは寂しい絵になるだけです。その悲壮感や孤独感は、確実に伝わってきて、絵を勿体無くさせてしまいます。そういう作品は、きっと鑑賞していても温かい気持ちにはさせてくれないのでしょう。
 だから、私は描かれる絵の立場に立って考えます。私のためじゃなくて、絵のために絵を描くんです。そうやって、まるで人間関係を穏やかに誠実に築いていくように、少しずつ距離を縮めて付き合いを続けていくと、ふと絵がこちらに気が付き、振り向いて話しかけてくれる瞬間が来ます。やっと、です。

 そこで初めて、絵が息をします。そこに風が吹きます。絵といい付き合いが出来ます。そして、絵が勝手に色をもって輝いてきます。そうすると、今度は絵が積極的に私以外の人にも語りかけるようになります。そして、私の気持ちを鑑賞者に伝えてくれるんです。私と絵と鑑賞者と三人での対話の世界が広がっていきます。

 私が目指す絵というのは、そういうものです。逆にその瞬間を待たずに完成と見なすことは妥協することになってしまいます。創作の上で、妥協は避けたいんです。
 だから、絵がこちらの存在に気がつくまで話しかけ、命を持ったら会話する。そういった創作を続けていきたいです。

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 長々と重たい話を語ってしまいました。。。でも楽しかった〜!書きながら、私もたくさん新しい発見がありました。

 最後まで読んでいただけて大変嬉しいです。そんなあなたにも今日いいことがありますように。
 


 次は#03 あの車輪を超えてゆけ!の作品紹介をします。
 お楽しみに〜🌱

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