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歯科医師の『技術』は『トーク力』か?

大学で学生に教えることと臨床は全く違います。泳ぎを教えても泳げるようにはならないのと同様ですね。総義歯治療も、教科書で学んだことと患者さんでは何一つ共通点がなく、途方に暮れることもあります。

典型的な歯牙の形態が分かっていても、歯列の中の1本、臨在歯や対合歯で形態の変化を起こしている場合もあります。❝経験❞が補ってくれるとは言え、どのくらいその❝経験❞を積む必要があるのか、歯科医師として50年のキャリアがあったとしても、総義歯の❝経験❞は自慢できるものではありません。プレパレーションは数をこなせば上手になるでしょうか?シリコン印象もやってるうちに流れなくなるのでしょうか?どんなに苦労して会得しても、患者さんから見れば「それが何か.....?」。

歯科医師に限らず、仕事を始めて10年くらい経つと、若いころの仕事のやり直しに迫られます。ほぼ出来ないことはないベテランでも、1つのクレームで眠れないほど落ち込むこともあるでしょう。ここまでできれば合格、というゴールのない仕事は、誰もが同じ悩みを抱えています。

でも、概ね歯科医師になる方は生まれつき器用です。ちょっとのコツで『腕』を上げ❝経験❞を積むポテンシャルの高い方が多いと思います。「僕、学生の時は実習で苦労したな」と悩んだ経験があるならあるほど、臨床で出会うケースのひとつひとつが大切な❝経験❞値として積み重なっていくはずです。ご自分が考えるよりずっと専門的教育は体に染みついています。自信をもって下さい。

『技術』とは『腕』か『トーク』か?

 私は昔ながらの人間ですから、いい腕の歯科医師には何も言わず語らずとも、自然に患者が集まって信頼してくれるものと信じています。しかしこれだけ歯科医院が増え、過当競争になった現在、歯科医療の『技術』には、『腕』の良いところを伝える『トーク』の力、表現力も欠かせなくなっています。どうしたら『腕』を上げられるのか、それを『トーク』で伝えることが出来るのか。私が常に心掛けていたことは、こちらから会話を弾ませることより、患者さんのお話を聞くということです。元々口下手が悩みの種でしたので、聞くことに徹していた、と云う方が正しいかもしれません。中には歯科医に芸能人のような話術を期待する方もおられます。楽しい会話は通院の不安を軽減し、治療の成績も上がることでしょう。会話の上手な後輩たちを何度うらめしく憧れたことか知れません。最終的にたどり着いた結論は『腕』と『トーク』を並べてはいけない、ラーメンとパスタを並べないのと同じだ、と自分に言い聞かせたことです。HPでメニューを並べるのも良いことです。患者さんがそのメニューの何を1番に注文するのか、その理由は何か、その答えにじっくり耳を傾け仕事で応えていくのがコミュニケーションなのだと思います。

臨床は縦糸と横糸

歯学部に入学し『理論』という横糸がスタートします。卒業後『臨床』という縦糸が絡まっていきます。その上に『経験』や『知識』が点を刻みます。点と点を結んで面にし、面と面を組み立てて立体にし、縦糸と横糸を緻密な創造物に仕上げていく、それが歯科医師としての仕事だと考えます。どんな糸でどんな点を乗せ、最終的に出来上る点と点の組み合わせは、人によってはタワーのように高くそびえ、人によっては頑丈な城壁のように固いものになることでしょう。

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最近の若い先生方の向上心には頭が下がります。私が若いころの歯科業界にくらべて、とても理に適った勉強法が普及していると感じます。昔は『エビデンス』という言葉は論文の中だけでした。本来は『証拠,証明』と言う意味のエビデンスには、現在、患者さんの願望を含む『成果』(持続的な予後)が求められていると感じます。❝技術❞の教育には、もはや「背中を見て学べ」的な保守性より、理論的、科学的マニュアル診療が必要で、それは必ず歯科界の底上げに貢献するはずだと確信しています。

患者さんに痛い思いを負わせても最終的に「有難うございます」と感謝された経験はありませんか?その時どうお感じになりましたか?

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患者さんは先生の一挙手一投足をつぶさに観察していらっしゃいます。言葉を発するより、手の動きの方が雄弁に物語ることでしょう。そこには会話だけではないコミュニケーションがあります。でも、成果を確信できるものがなければないものは現れてきません。内面から現れてくる謙虚さや自信は、間違いなく先生方の財産の一部なのです。今更ここで経験を積むことの大切さを語るなんて野暮はやめます。ただ一人の先生が得られる経験や情報には限度がありますから、どんな些細なことでも誰かに相談したり情報交換することで、精進の種になっていくものと考えます。






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