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類は友を呼んでいる……のか?

類は友を呼ぶ。
よくそう言うが、今一つ実感が持てない。
というのも、ふくよかな人にはふくよかな友人ができるとは有名な話だが、私は相当なふくよかさを誇っているというのに友人にふくよかな人は一人もいない。

友人自体が少ない、というのはこの際目をつぶるとして。

ついでに私は精神疾患持ちだが、友人がそのテの薬を飲んでいるとか、病院に通っているとか、そういう話は聞いたことが無い。

ゲームをしている人はいるが、何のゲーム、までは一致していない。
さびしい。

もしかして、類とはそういうパッと目に付く、表面的なものではない?

手作りイベントに一緒に出店する友人。
ありがたくも二十余年の付き合いのあるその友人たちとイベント会場にいると、他の方々から「姉妹ですか?」と聞かれるほど似ているらしい。
これは私たちのグループ名が姉妹を連想させるものであることが非常に関係していると思われる。
とは言え、これは先ほど書いたパッと目に付く表面的なものに過ぎないように感じる。
ちなみに、この素晴らしすぎる友人たちとは高校の部活や委員会で出会った。

文芸部と図書委員会。

……なるほど、ここではとても類友が威力を発揮している。
ただしパっと目に付く表面的な方。

しかしそれ以降に知り合った友人は、類友はあまり関係が無いような……
あ、もしかして友人と思っているのは私だけとかいうパターン?
いやいやそんな、そんなさびしいことは考えないことにしたい。

高校の部活動や委員会で知り合うのと、それ以降、大体は仕事場で知り合うのとでは、類友は類友でもまた違うのだろうか。

仕事場は集まる人が大人なので、偶然配置が同じになった人たちが大人なふるまいをすれば、類友に頼らなくても交友関係が出来上がる、のだろうか。

交友関係、とまではいかなくても、
誰とも敵対してませんよ
私はあなたたちに友好ですよ
みたいな、社会人として人間関係を円滑にするための、あくまで表面的なお付き合い……みたいな?
その場でのみ有効な。
うん、その線が非常に強い気がする。

いや、あれ?それなら別に学校でも仕事場でもそれでいいのでは?
その場だけの友好関係で類友が入ってくる隙が無い。

学生、部活動なら、仲良しグループとだけ仲良くしていれば大丈夫。
仕事なら、仲良しグループ以外の、目上の人とも目下の人とも、初めて会う人とも苦手な人とも、何かしらの繋がりが出来てくる。
そういう場では表面的なやりとりさえ無難にこなせればOK。
類友?必要無いっしょ!
だから私の友人にふくよかな人も精神疾患持ちもいないのは当然。
だって友ではないから。

あ、こういう考えにたどり着いちゃった……
なんかさびしい。
仕事、会社……社会?に友達関係は不要というのも聞くが、私と仲良くしてくれる方がいてくれる以上は不要とは思いたくない。
そういう方と私の間に、何か類友的な共通点があると嬉しい。
というか、あったらこの上なく光栄の至り。ありがたき幸せ。
仲良くする必要の無い仕事場で仲良くしてくれる方なんて、もう人徳の塊。
後光が眩しい。
ありがたさが振り切れている。

結局類は友を呼ぶって何なんだろうか。
私ってば本当に人の表面的なところしか見えてないんだなぁと実感する。
むしろ表面すらまともに見えてないだろ、と言われても、おっしゃる通りですとしか返す言葉が無い。
自意識過剰と自分でも思っている。

自意識過剰だからと言って自分のことを分かっているわけではないのが辛い。

こんな私と仲良くしてくださっている方々には、心から感謝している。
……なんて、だ、である調では申し訳なさ過ぎて書けません。
本当に心から感謝しています!
仲良くしてくれてありがとうございます!
私はあなた方がいてくださるから生きていけます!

……以上です。


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