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【ミュージカル】わらび座「ジパング青春記」には魂の旅があった

ずーっとみたいと思っていた演目、ついに見ることができた。そして、予想していたよりもずっと深く、心の底から揺り動かされるステージでした。

わらび座とは?

まず、わらび座の説明をしておきましょう。
わらび座は、秋田・田沢湖畔に本拠地を置くミュージカル劇団。もともとは東京で旗揚げしたが、「日本の心が残る、農村で活動したい」という志を基に秋田へ移住。「あきた芸術村」と名付けられた拠点には、大小の劇場に加え、天然温泉ホテル、自家製のビールが楽しめるビアレストラン、森林工芸館、ブルーベリーなどが実る農園が揃う、まさに「地に足の着いた芸術」を実践しています。
観客動員数では宝塚歌劇団・劇団四季に次いで日本でも3番目、実力派の地方劇団なのです。

「ジパング青春記」が描くもの

さて、いよいよ舞台の話に移りましょう。1月30日、会場は福岡シンフォニーホール。演目は「ジパング青春記」です。

「ジパング青春記」あらすじ
1611(慶長16)年、慶長の大地震・津波が三陸沿岸を襲った。2年のときが過ぎたが、田畑はいまだ荒れ果て、家族や仲間を喪った人々が心に負った傷もまだ癒えない。そんな時、仙台藩主伊達政宗は村人に「1000本の木を山から切り出せ」と命じる。「これは伊達の殿様の道楽のためだ」という噂を耳にした青年・リウタは怒り狂い、短刀を胸に政宗の命を狙うが……。
(パンフレットより抜粋)

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歴史が好きな人ならおわかりかもしれませんが、伊達政宗が命じた「1000本の木を切り出せ」というのは慶長遣欧使節たちが乗り組む、サン・ファン・バウティスタ号を建造するため。このミュージカルのサブタイトルも「~慶長遣欧使節出帆~」となっているように、物語は支倉常長ら一行がノビスパン(ニュー・イスパニア、今のメキシコ)へ向かって出帆するまでを描きます。あえて筋書きを大雑把にまとめるならば、「主人公・リウタが地震や津波で受けた心の傷を乗り越え、大海原に乗り出す話」ということになります。
しかし、これは断じてそんな「よくある話」ではありません。なぜか。

喪われた者と生き残ってしまった者と

劇中で直接言及されることはほとんどありませんが、これはあの東日本大震災で「生き残ってしまった」人たちの物語です。人間は、身近な人を亡くすと、巻き起こされる巨大な感情の渦にただ押し流されることしかできません。深い悲しみ、死という理不尽への怒り、あの人はもういないのだという喪失感。そして、「なぜ自分だけが生き残ってしまったのか」という強烈な後悔、「自分にできることがあったのではないか」という自責。「死に遅れた」「どうしてあの人が」「一緒にいてあげられなかった」……さまざまな感情が、生き残った人の心を責め苛みます。

それでも、生き残ってしまった人にはまた次の朝がめぐってきて、「日常」が否応なく始まってしまう。そんな日常を過ごしていくうちに、いつの日かいなくなってしまった人のことも、ひとつの風景になるのかもしれません。
今でこそ「生き残ってしまった人」への心のケア(グリーフケアといいます)が注目されるようになりましたが、津波や地震などの大災害が人の心に残した爪痕は、薄れこそすれ消えるものではありません。

主人公・リウタは「船」と「航海」という新しい夢に挑むことで、無限に続く悔いと悲しみの輪廻からいったんは抜け出します。しかしサン・ファン・バウティスタ号が大嵐に見舞われると、リウタは荒海に自ら身を投げて海を鎮めようとします。「あの津波に自分が流されていたら、村のみんなは助かったはずだ」……リウタの自責の念は、時間の流れでも新しい夢でも、完全に消し去れるものではなかったのです。

果たされなかった使命と繋がった歴史

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さて、支倉常長と慶長遣欧使節団は、史実ではメキシコ・アカプルコを経てスペインのセビリア、マドリードに到達します。そしてローマ・バチカンで常長は教皇パウロ5世と会見し、アジア人としては初のローマ貴族に叙せられました。

しかし、本来の目的だったスペインとの交易交渉は不調。帰国の途に就いた支倉常長と慶長遣欧使節団でしたが、すでに江戸幕府はキリスト教の信仰と海外との交流を禁じる鎖国政策をとっていました。一行はフィリピン・マニラに2年間足止めされた末にようやく帰国。伊達政宗も慶長遣欧使節団のことは秘密にせざるを得ません。常長は失意のうちに亡くなり、以来日本から慶長遣欧使節団のことを知る人は絶えました。

それからおよそ250年が過ぎた、1874(明治8)年。明治新政府からヨーロッパ視察のために派遣された岩倉具視の使節団が、イタリア・ヴェネツィア共和国の公文書館を訪れます。そこで彼らは、「支倉六右衛門(常長のこと)」が署名した文書を発見するのです。支倉常長と慶長遣欧使節団のことを知らなかった岩倉使節団は「怪しむべきに似たり」という感想を残していますが、これこそは常長たちの偉業が「再発見」された瞬間でした。

一粒の麦と明日への一歩

「ジパング青春記」の終幕近く、狂言回しの猫が「目的を果たせなかった支倉常長たちを『失敗だ』という人もいる」と語ります。確かに、そのときの目的は果たせなかった。失敗といえるかもしれない。ですが、そこでまかれた種が、いつどんな形で芽吹くのかは、そのときにはわからないのです。

聖書には「一粒の麦は地面にまかれなければ一粒のままだが、もし自ら地面に落ちて犠牲になれば、いずれ豊かな実を結ぶ」という言葉があります。亡くなった人を蘇らせることも、深い心の傷を完全に癒すことも誰にもできないけれど、顔を上げて一歩踏み出すことは、いつかなにかの実を結ぶかもしれない。

そのために、どんなに小さくても自分ができる「一粒の麦」をまくこと、その姿勢だけは忘れずにいたい。それは誰かの代わりに命を捨てることでも、スーパーヒーローのようにふるまうことでもなく、ともすれば退屈な繰り返しにしか思えない日常生活のなかにあるのではないか。

そんなことを思いながら、深く長く考えさせられるステージでした。本当は、副主人公格のミゲル(スペインの船乗りに連れられてやってきたアステカ人のイケメン)の話とかもしたかったんだけど、ね。西洋剣術の殺陣もすごくよかったし。

2月は福島~岩手~宮城方面、まさにこの「ジパング青春記」が描いた地を回るようです。ご近所の方、ぜひ劇場に足を運んでみてください。

https://www.warabi.jp/jipang2019/

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