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三角関数協奏曲(三角関数の教育が必要かそうでないかが焦点になっているのは大変雑な議論ではないか)

三角関数不要論を唱えている議員が叩かれても叩かれても絶賛燃料投下中でとても微笑ましい。融通の利かなさは問題だけど鋼の意思で自分の主張を曲げないのはある意味議員の資質を満たしているのではないかと思わんでもないがどうなのだろう。

 今回の件で大きく分けて二つの論点がある。
 一つはみなさんが散々おもちゃにしている通り三角関数をカリキュラムから排除して金融リテラシーを教えろという主張の是非。
 もう一つは、文科省の回答で既に金融リテラシーはカリキュラムに含まれているし、三角関数は選択科目の範囲、実態としてはすでにそのようになっているのに未だに主張しているという事実。

 一つ目は後でじっくり考察するので先に二つ目、文科省の回答を無視してともかく三角関数を排除して金融リテラシー教育を普及していきたいという主張。これはいったいどういうことなのだろうか。答弁を確認する癖のついている人たちに対して自分はバカですとアピールしている以外何物でもない訳だ。
 とはいえ、これでもかと主張するには何かわけがあるのではないかと考えたくなる。それが何かと問われると三角関数に親を殺された(注 ご健在です。)、数学で躓くであろうことが大人に対して主張するにあたり三角関数を生贄にした。この辺ではなかろうか。戦術を間違えなければ割とアリな主張ではあると思う。数学アレルギーな人間は五万といるわけだから、ね。実際に数学の恩恵は知らずに受けていても、駆使しないで生活できる人間の方が多いわけだから。ただその戦術はSNS上では失敗している。(もちろんリアル世界でどうなるかはまだ読めない。)
 私としては三角関数議員の主張には反対なのだが、まだ逆転の目はあると踏んでいる。三角関数廃止反対派の中には「三角関数程度」、「三角関数ごとき」という理由で反対している人間もいる。これは非常に危険な考え方である。三角関数が世間には必要と思っていても当然苦手だったり理解できなかった人もいるわけだ。もちろん三角関数がわからんでも生きていけると思っている人も多いだろう。その人たちのコンプレックスに上手くアプローチしたらSNS上の世論程度はひっくりかえせるのではないかと思う訳だ。この手のコンプレックスは下手に刺激するとろくでもないパワーを持ちうる。例の三角関数議員がそこまで考えて煽っているのかはわからないが、ルサンチマンを抱いている層に効果的にアプローチする手段を持ち合わせていたらとても危険。

 さて、一つ目の三角関数を排除して金融リテラシーを教えることについての是非。これ、三角関数だから余計に面倒なことになって古文や漢文だったら反対の温度がまた違ったかあるいは賛同者続出だった可能性がありその点は興味深い。
 当初のツイートでは金融リテラシーではなく金融経済とあったが、そうすると三角関数を排除するというのはナンセンスの極みだった。騒動が進展していくうちにつれ私の予想通り金融リテラシーを指していたのがわかったがいずれにしても失当であったと思う。
 三角関数の必要性については多くのツイッターユーザーが指摘しているので、あえて触れないし、私よりよほど含蓄のある発言があるのでそちらを参考にしてほしい。三角関数の必要性を訴えている人も金融リテラシーはいらないと主張する人はいないと思う。ようはどちらも必要なものなわけだ。三角関数に関しては今後理数系に進学する人にとっては無くてはならないものだろう、また、三角関数に限らず日常生活で影に日向に恩恵を受けていることを履修するのは大切なことだと思う。早いうちに学習内容を絞ればそれは生徒の負荷が減ることになるが同時に可能性を狭める。最近は親ガチャ、家ガチャという言葉を耳にするが、欧米に比べて階層間の移動がまだ盛んな日本が早い段階でカリキュラムを絞ればいよいよもって親ガチャ家ガチャの社会になる可能性が高くなる。(当該議員はガチャ大当たりっぽいがな)

 くどいようだけど私は三角関数排除については賛同しないが、当該議員がどのつもりで三角関数を排除して金融リテラシーを教えようと言ったのだろうか。金融商品を売りたいからだったら勘弁してくれと思うが、リボ払いで苦労している人を減らしたいというのなら正直わからないでもないところはある。それが三角関数とトレードになるとは思わないが。

 さて三角関数を履修することは非常に大事だという前提で、日常生活を日本で送るだけなら三角関数を履修するよりリボ払い等に対する免疫がある方が人生を平穏に過ごせる可能性があがる人達は間違いなくいる。さて、そういう人たちに金融リテラシーを履修させれば意味があるかということについてだが、私は半信半疑である。分数や割り算が出来ない大学生がいるという話はここ最近の話ではなく20年以上前からある話。それが本当だとすると金融リテラシーを履修させても理解せずに終わったら何の役にも立たない。複利の威力だけでもわかれば長期投資に対する理解も深まるし、リボ払いの威力についても理解できるだろう。その理解力がないまま金融リテラシーと言っても何の役にも立たない。三角関数を理解できるのならばその辺の話を触りだけでもすれば理解できるともいえる。

 公教育には可能性の模索と取り残される人を救い上げる底辺の底上げが役割なのではないかと思う。三角関数をなくせば前者に対する妨害になり、金融リテラシーを教えないということは後者に対する妨害になる。が、しかし、金融リテラシーを教えれば後者は救われるかというとそういう話でもない。理解できる土台が無ければ三角関数だろうが微分積分だろうが金融リテラシーだろうが何だろうが全て無駄。

 結論としては、三角関数と金融リテラシーをトレードオフにする議論はともかく雑であり、場合によっては金融リテラシーを高めることを阻害する可能性があり、三角関数履修を必要という側も言葉づかいを間違えると敵を増やすということ。議論は丁寧に。

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