見出し画像

鎌倉時代の産業史(農業編)

概略

肥料や農具などの改善や米の品種改良の進展を背景として

畿内・瀬戸内などの温暖地域を中心に麦を裏作とする二毛作

がはじまる。

牛馬耕は一般化し、牛は耕作用、馬は運搬用として使われる。

また、灌漑のために水車も用いる。

農業生産が著しく向上したので、手工業や広い範囲での流通を

進展させた上、貨幣経済の普及をもたらす

上記の中でポイントとなる3点を以下に示す。

肥料

従来の肥料として人糞尿があり、刈敷と草木灰という

新たな肥料が使用される。

刈敷とは、刈った草葉を地中に埋めて発酵させて作る肥料で

草木灰とは、ワラや落ち葉、枯れ草などを燃やして作る肥料

である。

草木灰の成分は、石灰・リン酸・カリウムでそれぞれ肥料として

役に立つ特徴がある。

石灰はアルカリ性で土の中では、微生物が活動しやすくなり、病原菌

が寄り付きにくい。リン酸は花や果実の生育を促し、カリウムは根や

球根を太らせる。

二毛作

1年のうち2回、同じ耕作地に作物を栽培することである。夏期に米

冬期に麦を栽培することが一般的とされる。温暖地域が中心という

事実を裏づけるエピソードを鎌倉時代より後世の昭和という時代で紹介する

東北地方では戦前期、二毛作は困難であった。暑い時期が短い地域で二毛作

をすれば収穫や植え付けの時期が競合し、水稲(米)・裏作物(麦)共に

収穫が落ちるので小作料を米でとる地主はなかなか許可しなかった。この

エピソードから寒冷地域の二毛作は厳しいとわかるが、次のエピソードで

封建社会ゆえの地域差であったことが証明される。

戦後の農地改革で土地が自分のものとなり何でも自由に作れるようになり、

他の作物にも挑戦した結果、所得が上がることとなる。更に政府の試験研究

機関が晩植用の稲の品種と肥栽管理技術の開発、裏作物の品種と環収技術の

開発表裏作物が競合しない技術の開発に動き出し、1例だがササニシキが

誕生する。

手工業

農業生産の増大で作り手において原料作物の収穫が増加し、手工業の大量生

産が可能となる。

故に、農民は富を蓄えることができたので品物を容易に入手できるようにな

る。

すなわち、手工業品は商品として確立する

結果として商業活動が盛んになる。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?