何者にもなれない自分は何にでもなれる

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これは昨年2019年11月、薬の副作用でベッドから起き上がれず外出さえままならない時期に書き記した文章だ。

最初にうつ病になった中学3年の秋以来、日課として手書きでノートに日記を書き続けている。

絶望の淵にいる時も、喜びの絶頂にいる時も、いつでも私はその想いを文章に綴ってきた。

文章を書くことは発散法であり、冷静に客観的になる手段でもある。

文字化することは自分が自分であるために必要な作業なのだ。

私は今までずっと自分のために文章を書き続けてきた。

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中学時代にうつ病を発症、高校は入学してすぐに中退し定時制に再入学、大学時代に双極性障害Ⅱ型を発症、社会人になってからは1~2年に1回は転職を繰り返す。

自己PRできるほどの職歴はなく、かといってフリーランスでやっていけるようなスキルも経験も資格もない。

将来的に、社会的なステータスや肩書を持つことも期待できない。

障害を抱えて、辛い苦しい思いをして、一体私はどうして生きているのだろう、どうして生きていかなければならないのだろう。

何にならなれるのだろう。


人には真似できない、私にしかできないこと

それは、障害を抱えて生きる自分自身に向き合い続けてきたという経験

どんな時でも決して目を逸らさず真正面から向き合ってきた

どんなにできないことだらけの自分であっても、その時にできる最善を尽くしてきたという自負がある。

人生の半分以上を気分障害と付き合ってきた私は、絶対的な自己肯定感と自尊感情を持っている。それはこの社会で生き抜いていくための一種の処世術のようなものだ。

世間一般の社会的ステータスからいえば下位にいるともいえるかもしれない私が何故それほど堂々としていられるのか。

それは語るに足るテーマではないだろうか。

自分の人生経験を通して得たものを発信することは、私にしかできないことだと思うのだ。

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