【後輩に負ける先輩】仕事、人間関係が辛かった零細企業編(3)【ノンフィクションドキュメンタリー】
○前書き
起業を機にいままでの自分の人生を振り返ってみようと思って、経験してきた伝記的なものを作ろうと思いました。起業に至るまでの五年間奮闘した完全な自己満足のノンフィクションドキュメンタリーです。無職からの這い上がりの過程を誰かの希望になれば。
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◇登場人物
上司Cさん:僕が会社二年目から頻繁に話すことになった上司。会社以外にも遊びに行くようになる。しかし、依存体質なのか、面倒見がいい面がある分、仕事ができない僕に対して一方的なアドバイスをするようになってくる。そのアドバイスにより、僕は自己否定を繰り返すように。
後輩A:上司Cと共に、会社二年目からよく話すようになった後輩。コミュ力があり、上司達と円滑に対人関係を築いていく。仕事ができない僕に対して次第に下に見るようになる。
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前回の続きです。
また、地味に投稿しているだけなので本人たちは見ることはないとは思いますが、登場人物たちを中傷する目的ではなく、あくまで僕の経験談を説明しやすくするために登場させているだけなのであしからず。
社会人になってから二年目の時。ここまでほぼずっと暗い記事を書いてきましたが、さらに暗いクビになるまでの過程を書いていきます。
一番暗いのは今回と次回までで、それ以降はちょっとずつ明るい記事を書いていけると思います。
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バイトのAさんが会社を転職してから年を越し、僕は社会人二年目になりました。この時の年越しは穏やかに過ごせてました。
そして迎えた四月。ついに僕の後輩にあたる新入社員が何名か入ってきました。
しかし、後輩たちが入ってくるも、僕と同様二か月近くほど放置され、後輩たちも会社の体制を心配し始める頃、会社はようやく新入社員に対して研修を行います。
新人研修が始まる前の間、僕が一年目の途中から入社してきた上司Cさんと、二年目以降よく話すようになります。上司Cさんは前の会社で人間関係で疲れたか、会社ともめたのかなのか、疲弊した様子で入社していました。
僕が一年目の頃、上司Cさんは前職と畑違いなこの会社の仕事に馴染むことが難しかったらしく、日に日に疲弊していきますが、二年目に入るころには挽回し、仕事を軌道に乗せていました。
僕は大変そうだと思いながらも、一回り以上歳が離れている上司Cさんに励ますなどおこがましいと思い、僕は遠目で様子をうかがっているだけでした。
後輩たちと一緒に新入社員研修の名目で、会社のPR動画を作るのを任されるが、リーダー役をかって出た結果、盛大に失敗し、後輩たちと上司たちの信用を失いそこから立ち上がれない。
会社側は後輩たちが入ってきて二、三か月たったあとに、僕を含めて新入社員のための研修を開始しました。
しかし、僕は後輩たちより一年早く会社に入っているのにも関わらず、言われたことをやるだけの作業しかしてこなかったため、二年目の先輩社員としての経験値は皆無でした。しかし先輩としての威厳はあり、プライドが高かったのかもしれません。
僕は先輩社員だからという名目で、リーダー役を買い、自分なりに努力しようと精一杯がんばりました。
しかし、まともにコミュニケーションを築いてこなかった僕はまともな会議を行うことも、コミュニケーションを円滑にとることもできず、かわりに後輩Aが意見をまとめて場が丸く収まるといったという結果に。先輩社員としてのちっぽけな威厳が粉々に砕けました。
子供のころからこの手の事はよく経験していたのですが、大人になっても改善していない自分に絶望し、自分の無能さを責め、落ち込みます。
企画→会議→制作→発表→修正→会議
といった工程を踏んだ研修でした。会議での失態を引きずっていたため、僕はつねに焦っていました。
発表後にどうにかまとめあげてリテイクを修正し、そして謎に後輩たちの制作にも口を出していました。(うざかったと思います)
社長にも発表をして修正意見をもらっていたのですが、短期間での呼び出しが続いた社長はついに、「前回と何が変わっているのかわからない」と一言。普段温厚だった社長が真顔で言ったことについて、さらに僕を追い込みました。
(上司Aさんにも、制作の上での常識がないような事を言われましたが、心の中で全然その手の知識を教えてくれなかったのを棚に上げて、さすがに何を言っているんだと思いました。)
結局、新入社員のための研修は、だらだらと続くだけで一向に終わる気配がないことを社長たちは悟り、研修は強制終了することに。僕はリーダー役をかって出たこともあり、すごく落ち込みました。
そして、頓珍漢な意見や上司に対して図らずとも失礼な態度や失言をしていたのもあり、僕の信用は大分下がったと思います。
僕はその失敗をずっと、本当にずっと細かい失敗を重ねながら会社を辞めるまで引きずることになります。
それは後に書いていきますが、納期が守れない、上司の指示を忘れる、理解できないといった致命的なミスを繰り返す事も失敗を重ねる理由でした。
こういった致命的なミスを繰り返す事により、僕は会社にいられなくなりクビに至っていきます。
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盛大に研修という名のプロジェクトを失敗した僕は、仲良くなり始めた上司Cさんにすこしずつ仕事の話をするようになりました。
上司Cさんは温厚なタイプの人だったので、最初のうちはただ話を聞いてくれていました。しかし、僕がネガティブな事を話しすぎたのか、次第に耳が痛いアドバイスをするようになります。
二年目なのに業界の常識?的な知識がないことに怒られ始めます。前述した通り、僕は会社に受け身で言われたことをやるだけの作業しか任されておらず、それが終われば長期間放置されるという事を繰り返していたので、一年目で覚えるであろう業界の常識や知識など全く教えられてきませんでした。
しかし、僕は人や会社のせいにするといった他責思考が嫌いだったので、僕はひたすら自分の努力量が足りない事に自分を責め始めました。この時から上司Cさんが僕に対する"アドバイス"がエスカレートしていき、最終的には
パワーハラスメントの領域まで発展していきます。
会社での失敗も精神的なダメージでしたが、それに加え、上司Cさんのパワハラに近い人格否定により気を病んでいきます。
仕事は後輩に入り、先輩の僕は社内ニートに。
研修は盛大に失敗した後、仕事が入ってきて後輩たちと一緒に仕事をすることに。僕はすでに研修の事で負い目を感じていたので、仕事に対して大分自信を無くしていました。
仕事の形式は、バイトAさんの時と同様、後輩たちと同じ仕事を受けさせて、いい方を採用するといった事でした。
僕は自信を失いつつも、精一杯僕なりに頑張ったものを提出しましたが、気持ちで負けたのか、結果は後輩たちに惨敗。
バイトAさんの時は自分が採用されなくても次の日はリセットされていたのですが、今回は一度負けたらもう敗者復活はありませんでした。この時点ですでに会社からの信用はもうボロボロだったと思います。
そして僕に任せる仕事はなくなり、後輩たちが仕事に励む中、僕は一人何も仕事を任されず社内ニートになっていきます。
書くのが辛くなってきたので、次で最後。二年目後半の記事でネガティブな内容はおわりにします。
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被害者意識で書いていますが、自信を失った僕を救い出そうとしてくれた会社や上司の方々もいました。最後まで僕に対して温情をかけていただきありがとうございます。
会社を去る時にはもうメンタルが正常でなかったので、ご挨拶をせずに会社を去ったのが心残りですが、大変感謝しております。
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