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すばらしき新世界 (27)

 登和が戻ってきたのは八時過ぎだった。
「お腹すきませんか?」
登和はおにぎりと唐揚げをラップにくるんで持ってきていた。
「ありがとう。」
手を止めておにぎりと唐揚げを食べながら、悟は言った。
「ごめん。今度から帰りがけに買ってくるから。」
「おにぎりぐらいなら別に。」
「いや、そういうわけにはいかないでしょ。」
「そうですか。」
登和は英検の問題集とノート類をトートバッグから取り出した。
「私もここでやっていいですか?こっちの方が集中できるから、今日からこっちで勉強する、って言ってきたので。」
「もちろん。」
「一人の方が集中できるなら、隣に机もありますけど。」
「いや、一人だとちょっと怖いし。」
「何も出ませんよ。」
登和は面白そうな顔をした。
「広瀬くん、仏壇とか怖い方ですか?」
「んー、まあ。ずらっと遺影に囲まれた部屋とか、何か見られているみたいで緊張する。」
「隣、見てみます?」
「いや、やめとく。」
登和はくすっと笑った。たぶん隣の部屋には仏壇があり、遺影がずらっと並んでいるんだろう。
「もー、変なこと言わないでよ。気になってきた。」
「ごめんなさい。もう言いませんので。勉強しましょうか。」
「するけどさ。」
二人はしばらく無言で勉強した。だが、何か落ち着かない。隣の部屋との間を仕切っているふすまの、細く開いた奥の闇が気になる。
「……吉井さん、勉強する時に音楽とか聴かない方?」
「聴きませんね。」
「そっか。」
「聴いていいですよ。」
「いや、いい。」
「どうして?」
「今何もうるさくないし。」
「虫の声しかしませんね。」
「無音だと、何か怖くない?」
「何が怖いんですか?」
「例えばさ、その、ふすまの隙間とか。」
登和は吹き出した。席を立ってふすまをぴしりと閉め、
「ごめんなさい、気がきかなくて。」
そう言ってクスクス笑った。
「笑わないでよ。」
「ごめんなさい。」

 二人はまた勉強を始めた。吉井さんって、家では本当に普通なんだな、当たり前だけど、と悟は思った。いい子なのにどうして学校では普通にできないのか。たぶんいろんな事情があったんだろう。悟は、四月当初の登和のことを思い出していた。

 入学式の翌日、登和は教室の席でじっとしていた。ずっと下を向いて固い表情をして、気軽に声をかけられる雰囲気はなかった。だから、あえて声をかけたりはしなかった。同じ空間にいても、別の時間軸で過ごしているような感覚とでもいえばいいのか。お互いの間には透明な薄い膜があり、決して交わることはない。

 その膜が錯覚に過ぎないと気づかせてくれたのは、高校でできた友人の萩原慎だった。

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