独身貴族、(結婚式にお誘い頂く度に)少しだけ世界を救う(そんな気になってみる)

結婚式の招待状が届いた。
大学時代、1年近くポリクリ(病院実習のこと)を一緒に過ごした盟友である。
非常に聡明で身も心も美しく、学生時代から様々な意味合いでセンスが良かった。
学生時代課された手書きレポートに、そのセンスが如実に現れていたのが印象的だった。
スマートなレイアウトに、本物を模写したかのようなイラスト。勿論一つ一つの文字自体も美しく、何より彼女が導く意見はどれも興味深いものばかりであった。
そんな彼女が作成したと思われる招待状は、相変わらずセンスが良かった。
今から式が非常に楽しみである。



それにしてもここ数年、結婚式への招待数が半端じゃなく多い。
恐らくコロナ禍により延期された式が新規に組まれた式と重なったのもあるのだろう。
だとしても、だ。
特にこの2年程は1シーズンに1回は必ずお誘い頂いており、多い月ではある週の土日両日参加したと思えばその次の土曜にも式、ということがあった。
小中高、大学、医師になってからの友人達等、どの界隈・男女共に関係なく結婚の報せが届く。
そして、当方の各界隈の既婚者の方は結婚式を挙げる方が多いようで、報せと共に素敵な式に招待頂く。
報せと共に当方の手持ちのピン万札を確認し、「次の式までに銀行へ行く事が出来る平日は何時だろうか…」と考える。
そんな日々が続いている。



そんな訳で今日も招待状を見ながら手持ちのピン万札を確認していたのだが、直近でご招待頂いた結婚式の事を追憶していた。
高校時代の同性の友人からお誘い頂いた結婚式の事だ。



***



この友人も非常にセンスが良く、学生時代から制服の着こなし方やメイク、私服ファッション等、個性があり秀でていた。
ホテル・チャペル選び自体もそうだが、招待状、各テーブルの装飾や彼女のドレス等、どれも煌びやかで彼女のこだわりが光っている素敵な会であった。



披露宴のテーブルは、高校時代の友人(全員同性)で構成されていた。
高砂側の席から時計回りに
既婚者、既婚者、独身貴族(私)、既婚者、婚約済、既婚者、既婚者
という配置であった。
ちなみに式当時、既婚者5人中4人子育て中であった。



高校時代の懐かしくふわふわとした話で盛り上がると思っていた。
が、結婚報告の順番や育休の取り方、出産一時金の申請方法、お受験等々。ある種現実味のある話で溢れていた。
そのテーブル唯一の独身貴族からすれば現実味などある訳もなく、まるで宇宙空間であり、ある意味ふわふわしていた。
途中まで話を聞いていたが徐々に入り込めなくなり、どの様な順番でコース料理と共にアルコール類を制覇するかメニューと睨めっこしていた。最終的には呑んだくれていた(この時はまだ抑うつ状態ではなかった為、飲酒可能であった)。
幸せで溢れている筈の結婚式話でこんな表現はしたくないが、今振り返っても悲惨である。



そんな悲惨な独身貴族を見兼ねたのか、隣に座っていた既婚者の友人が声をかけてきた。
彼女は年上の素敵な旦那様と共に、やんちゃな息子の子育てに奮闘しているそうである。


「深爪ちゃんは…何ていうか、ずっと楽しそうだね?(笑)」


会話中、ここまで明確に(笑)が認識できたのは初めてだった。



明言するが、彼女は決して悪い人間ではない。寧ろ、竹を割った様な性格で私は非常に好感を持っている。それは記載している今も変わらない。
学生時代、担任教諭が根拠が不明瞭なルールを作った際、正論を持って反抗していた様が非常に清々しく好きだった。
また、私は元々音楽ライブや映画等を鑑賞するのが趣味であり(この話は何れ機会があれば記すと思われる)、記録代わりに某SNSツールに写真等を投稿していた。
某SNSツールでは彼女とも繋がっており、彼女の子がすくすく成長している様子を拝見しつつ、直近で行ったライブの感想を投稿していた。


この言葉も言い回しも、SNSを通し私を見守ってくれていた彼女なりの優しさと気遣いだったのだと思う。
子育て中、私には想像出来ないような苦労が数え切れない程あるのだろう。そんな過酷な環境・体調下でどうにか紡いでくれた言葉だったのだと思う。



しかし、酒が回った独身貴族はタチが悪かった。



「まあ、独りなもんで時間とお金だけはあるからね」


ヘラヘラとした作り笑いと共にそう返答し、メインの牛肉フィレステーキと共に頼んでいた赤ワインをがぶ飲みして肉に食らいついた。


最低である。

その後は当たり障りのない現状報告だけ済ませた覚えがある。
気付けば取り分けられたウェディングケーキを食べつつ花嫁の手紙の時間を過ごし、「この後用事があるから〜」等伝えて二次会をすっぽかし、帰宅した。


自分で言うのもおかしな話だが、今まで割と「性格が良い人」としてやってきていた。
しかし、あの瞬間は人生の中でも相当性格が悪かったと思う。
というか、恐らく元々性格は悪い方なのだと思う。きっとそれをのらりくらりと隠してきただけなのだ。
そして、独身貴族に対しての世間の目や(良くも悪くも)様々な意見に対し、「ストレスではない」と言い聞かせていた心が、アルコールが回ったせいで一瞬決壊してしまったのだろう。
偉そうに語っているが、完全に言い訳である。


只、一応「性格が良い人」であった当方なので、帰宅してから猛烈な後悔に襲われていたのは、完全な余談である。
後悔に襲われつつ日課である長風呂をした結果、鼻血が出てしまい、独り半泣きで止血処置をしたのも余談の余談である。
※飲酒後の入浴は危険なのでやめましょう。


***


そんな苦い思い出を反芻しながら、招待状を眺めていたのであった。


そんな性格の悪い独身貴族なのだが、結婚式にお誘い頂く度に(と言うか招待状が郵送される度に)ルーチンとしている行動がある。


それは、郵送された切手を切り取り、収集する事だ。
先に言っておくが、当方は特に切手コレクターでもなんでもない。


明確な時期は忘れたが、ある日書類を整理していた。
今まで招待頂いた分の式の招待状と封筒が大量に出てきて、あの式はどんな感じだったかな、新婚となったあの子は元気だろうか、と思いを馳せていた。
しかし、書類は大量であり、どこかのタイミングで整理せねばならない。思い出に耽っている時間はない。

各人が拘って作成したであろう招待状は何となく捨てられなかった。
封筒は見切りをつけて破棄できそうか、と思いながら、何故か切手が目についた。メールやSNSでのやりとりが主流となったこの時世の影響があるのだろうか。
何となく勿体無いと感じてしまったのだ。


勿体無いと感じる、と言うことは恐らく「価値」を感じていると言う事だ。
「価値」にも色々あるが、その時感じたのは、所謂お金としての価値だ。
只、各切手が物凄く珍しそうかと言うと、大変失礼ながら素人目に見てもそう言う訳でもない。
何か役活用出来ないものか、とぼんやり検索していて見つけたのが、日本国際ボランティアセンターが行っている使用済み切手の回収事業だ。
消印以外の汚れ・破損がなければ日本製・海外製どちらも送付できるそうで、それを切手収集家の方に買って頂き支援金を得る、と言うものだ。


早速各結婚式の封筒から切手を切り取り、ジップロックにまとめてみた。
やってみると何だかワクワクして、改めて他の書類を確認してると、職場からの郵送物等意外と切手付きの封筒を多く持っている事に気がついた。
まとめてみたら数十枚にも渡った。案外持っているものだ。


一度それを日本国際ボランティアセンターに送付してみた。
自分の生活が特に変わったわけではない。
だけど何だか、赦された気持ちになった。


30代と言ういい歳にもなって独身女で、結婚と言う皆が当たり前に通る道を通らず、子育てと言う大変な仕事もせず国の未来に貢献できていない。
目をそらしていたが、そんな気持ちがどこかにあったのだと思う(あくまで私の中の気持ちである)。
要は自分の今の状況に、自信がなかったのだ。
直近の結婚式で既婚者の友達に最低な言葉を投げかけてしまったのも、心のどこかで自信がなかったからに違いない。
そんな自分でも何か世界に貢献できた。
だから、赦された気持ちになったのかもしれない。
要は自己満足である。


そんな自信のない心に、今日も満足感を与えていく。
ささくれ立った心を、少しでも治す為に。
友達の結婚式の報せを受ける度、知らず知らずのうちに勝手に傷ついていた心を、少しの世界貢献と共に慰めるのだ。

「結婚式以外でも世界貢献できるじゃん、関係ないよね?」と言う声が聞こえてきそうだが、要は自己満足なので許して頂きたい。

独身貴族、世界を救う!今日もそんな気になってみる。
まずはここから、自分を肯定するのだ。




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