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"今"を作り上げる選択

下書きのまましまっていた。2021年3月11日0時36分の私。
3年越しに公開しておこうかな、となんだか心が感じました。

誰かに読んでほしいのか、はたまたただ、自分の中からこの下書きをただ解放して自分が楽になりたいのか、そんなことはわからないけれど。

あとがきも書いてます。


人生で初めての東北。
京都から仙台、夜行バス11時間。 

東日本大震災から10年という節目の年に、
当時小学校3年生だった私は大学1年生にまで成長しました。

今回、3/9,10,11,12で石巻、気仙沼、福島と回ります。
震災から10年、大学1年、このタイミングで行くということに意味があると信じています。
3.11に合わせて宮城県、福島県に行く意味。
今、この時に、かつて東北で起きたことを勉強する意味。


ただ、その"意味"ってなんだろうって考えると、私にはまだ言葉では表せない、正確に言うと自分が今持ってる想いを言語化してアウトプットするのがまだできないということ。

ただ、このタイミングで行くことは間違ってないと信じてることだけは確か。

つい3ヶ月前、初めて熊本に行きました。
((球磨村流域で発生した水害の災害ボランティアに参加しました。その時に災害ボランティアという存在自体をはっきり認識しました。なんとなく聞いたことある、から自分の中で単語がレベルアップして姿を変えたイメージ。
そこから今は災害支援に強く興味を持っていて、春休みの間できるだけ熊本で災害支援ボラに携わりたいなと考えています。))

だけど、あの時熊本に行くという選択をしていなかったら。
災害というものに対する私の興味は今、もっと薄かったはず。そう考えると数ヶ月前までのなんにも考えていなかった自分がすごく未熟に思えてきます。

でもそれと同時に、今"災害"に対して深く興味を持っている自分に対して「良い選択だよ」って言いたい。

そう考えた時に、今の自分を作り上げてるのって元を辿れば、たくさんの選択で、その数ある選択のうち、一つでも違う選択肢を選んでいたら、

今、この自分はここにはいないと思うと、
今ここにいる自分に必然性を感じます。



だからこそ私はこの節目の時に、福島県と宮城県へ直接行き、被災地の現状を肌で感じたい。そして私がこのタイミングで向かうことの意味を言語化できるようにしたい。


3年前の私へ。

東北を訪れるという選択をしてくれて有難う。

3年後の私は能登半島で起きた大震災に対してまたボランティアをしていたよ。ひょんなことから休学して、そのまま根無し草のように(逃げるように?)能登に流れ着いていたよ。

でもそれも、きっと人吉での経験と、熊本地震の色んな爪痕を見ていたからなのと、ご縁で東北を巡らせてもらったからだと思う。

私のなかに、居てもたっても居られないなにかがあったんだと思う。

まだまだそれが何なのか、言語化は難しいけど、災害支援という活動にはだいぶ興味があるみたい。


「過去の意味は後付けでいい。」
ガーナでからあげ屋さんを開くケントさんの言葉。

その時その時にしている選択の意味なんて正直自分でもわからない。
本能が反応したから、そう動いているだけ、そんな感じ。

だから3年前、10年の節目で東北に行く選択をしたのも、

今になってなんとなく、点と点が線になっている感覚。

意味なんて後付けでいいから、軌跡を作り続けよう。

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