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地球って立方体なんだってさ。

大学生の時からの友達とのLINEグループがある。

正しくは「大学の時から仲は良いけど、大学外で会う程では無い、中庭で煙草吸ってたらちょっと話すくらいの仲だった子達」だ。

私が当時通っていた美大の学科は3つのコースがあって、
写真、映像、演劇と分かれていた。

私は写真を学んでいて、その子達は演劇だったり映像だったりを学んでいた。

写真の子達とも仲が良かったけど、でも、同じ学年で仲が良い子は演劇が多かったように思う。

大学1年の時はコースが分かれていなかったので、仲良くなった女の子達がいた。

私の大学は当時、正方形の中庭があって、「田」の字に道があった。
その角と中間地点、建物の出入り口全てに灰皿が置いてあり、四角いおっきな灰皿みたいな学校だった。

社会人入試で入ってきた年上のお兄さんお姉さん達が中庭で煙草を吸いながらで喋ってくれるのでそのままずっと一緒にいた。

あまり年上と思っておらず、同い年くらいの感覚でいた。それなのに20代後半だった事をどうして覚えているかというと、そのうち一人のアパートで、「今年で27歳になるよ」という男の子に「今年中に名曲作って死ななきゃね」と冗談を言ったら「カートにならなきゃな」と笑ってくれたのを覚えているから。

18歳のティーンエイジャーにそんな事言われて、うっとしいくらい、子犬のようにじゃれつかれて、それでも一緒に遊んでいてくれたんだから、みんなとても優しかったんだなと27歳になる時に思った。

そのアパートで朝になってしまった日差しの中で、ビートルズのBlack birdをアコースティックギターで弾いてくれた男の子がいて、みんなで静かに歌っていた。

デザイン学科や日本画学科の人もいた気がする。
公園で花火をしたりもした。

ハチクロとは思ってなかったけど、中々に青春していたんだなと思う。

大学2年生の時は入ってきた後輩の男の子達と、
1つ学年が下のデザイン学科と日本画の子達と一緒にいた。

これもまた煙草喫同士で中庭で仲良くなった。

その中で彼氏が出来て、2ヶ月で別れて、いっとき大学に誰も友達がいなかった時がある。

彼氏の評判が悪かったので、付き合った時に同じ学科の子達は離れて、

別れた時に、その周りの子達と疎遠になったからだ。
というか、気を使って、その子達が煙草を吸ってる時は自らそこに近づかなくなった。

でも、その時のデザ科か日本画科の子達は後から「気を使わなくていいのに」と話しかけてくれて、今だに仲が良い子もいる。

「ありがとう。でもあなた達は元々彼の友達だから、悪いなと思うから、みんなでいる時は遠慮させてもらうね。でも、こうやってまた話してくれたら嬉しいし、今も嬉しいよ」と答えた。

大学1年の時に仲良くなった女の子達は、役者業が成功して忙しくなり大学を辞めたり、別の学科に行きたいと学校を変えたり、なんだかいなくなってしまった。

「あの子が月みたいで、あの子が太陽みたいだったから、なんか大学が暗くなったみたい。」と一人の男の子に言ったら「そうだね。大きな照明が2つ落ちちゃったみたいだね。」と言っていた。

教授や助手さんと仲が良かったから、喫煙所ではその人たちと話すようになった。
それはそれで実りのある良い時間だったと思う。

大学3年生の時に別の大学の彼氏が出来た。

小学生のアメリカにいた時に好きな人と再会して付き合えたので、私にとっては夢の王子様だった。ハンサムで頭が良くて、優しかった。話してるとメキメキとやる気が湧き、作品制作に打ち込んだ。

2年生の後半に大学に友達がいないから大学外の友達とばっかり遊んでいたのだけど、そうやって物を作っていたら、友達が帰ってきた。

「新しい彼氏、良い人だね。なんか、スッポンから月というより、泥の塊の後に月と付き合ってるみたい。」と言われた。

今だと酷い言いようだなと思うけど、当時は中庭で大ビンタ食らわせて別れたくらい怒っていたので「本当にそう。」とにっこり笑った。

ちなみにその大ビンタ食らわせた時に、真横に友達がいて、「おお。映画みたい。動画回しておけば良かった。」と言っていた。美大生…

後にも先にも恋人に手を挙げたのはその時だけだ。
そのずっと後にもっと酷い人と付き合っても、ビンタはしていない。

恋人は留学生だったので、カナダに帰ってしまい、しばらく遠距離をした後、別れた。円満に別れたけど、恋しくて泣いた。

電話で振られたその足で先輩の撮影のロケに出る為に県外に向かったので、傷心旅行が秒でやってきた。

学生だったのでメイクも服も自前で行ったので、メイクが崩れないように電車の中でハンカチを目に当てて電車に揺られた。

荷物いっぱいの電話している中国人男性と、明らかにディズニー帰りのギャルが1人電車に乗っていて、1936年当初の格好をした女がさめざめと泣く夕日さすその車両はシュールな絵面だったと思う。

今思うと1番ギャルが可哀想だ。楽しかっただろうに。

ロケは楽しかった。

川の撮影でヒルに噛まれたり、
買い出しで車に乗り窓を開けて空を見れば星がいっぱい広がり「銀天街やー!」と一緒に車に乗ってたお兄さんがおっきい声だしたのに笑ったり、

夜中怖い話をいっぱいして、怖くなったという主演女優さんが一緒に寝ようと一つの布団で二人で寝た。彼女がトイレに行く時についてきてと言われてトイレの外から手を繋いであげていた。

寝れなかったので、朝、一番早く起き出したお兄さんがみんなの為におにぎりをにぎりはじめたのでお手伝いして、話して、笑って、ほっとして、帰った。

恋人がカナダに帰ってしまっても、友達は帰ってきたし、その頃には教授とも助手とも先輩とも仲良くなっていた。
成績も伸びたし、良い思い出をくれたその恋人を恩人だと思っている。

大学4年生になって、ものすごく忙しくなった。

卒業制作の写真の為に外をかけずり周り、モデル業をしながら、同じショーに出た子に話しかけて、自分のモデルをやってもらったりしていた。

15歳の頃から声をかけて貰えば断らないでモデルをしていたので、デザイナーやフォトグラファーとも仲良くなって、その頃にはメイクやファッションの学校の子とも仲良くなり、ほぼこの4年間ダブルスクールしてるのかというくらい恵比寿に足を運んだ。

エキストラのバイトも楽しいし、勉強になるし、バイト代は全て製作費に消えたけど、おかげで友達や知り合いは大勢いた。

それでも卒業した後に思った事は、同じ学年の子ともうちょっと仲良くなりたかったな。特に演劇の子達。と思っていた。

中庭で話せば楽しいし、笑わせてくれる。気さくだし、会えれば嬉しかった。

でも私は人生でずっと、なんだか「お客様」な気がしていた。
「アウトサイダー」なんて言うとなんかパンク!って感じがするけど、つまり、部外者だ。

子供の頃にいじめにあった。
女の子達が無視したり、痛い事をしてきたりするので、男の子と遊んだら、もっと火に油を注いだ。でも、学校が終われば隣のクラスの子と遊んだ。

パパに「風花は沢山のグループにいるから、1つ潰れても他に移ればいいから、賢いね」と言われた。

すごく引越しを繰り返したので友達が出来てもすぐに私は「お客様」になった。
ドイツでもアジア人だし、日本では転校生だし、アメリカでは英語を話せない人だった。

私は、ずっと浮いていた。
浮かざるおえなかった。だって、みんなが経験している事を私はしていなくて、
私が経験している事をみんなは経験していなかったから。

なんだか浮いているな。と思いながら、
「お客様」だな。と思いながら、
「そこ」にいた。ただ笑いながら「そこ」にいた。

色んなグループの子達の輪の中に忽然と現れては、少しおしゃべりして、笑って、また別のグループに顔を出した。それが処世術だったから。
浮く事は仕方ないから、どこにでも浮いていけるようにした。

高校の時の友達グループにいた時は少し、その「浮き具合」が減ったように思った。

幼稚園、小中高一貫の国際系の学校だったので、
みんなどこかの国から帰ってきていたり、日本に住んでいても、周りがそんな人ばかりで育った人たちだった。

昼休みになると、私の席の後ろと隣が友達だったので、その周りに別のクラスの子も自然と集まってご飯を食べた。

自由なグループだったので、誰かいても、誰かいなくても、誰も気にしなかった。

バスケ部と聖歌隊と美術部と帰宅部とあとなんか他の部活の子もいたかもしれない。

それでも別のクラスの方が友達が多かったので、いいなぁ、と思い、少しの「お客様」を感じていた。

その子達とは今だに年に1回集まる。

みんな結婚したり、子供が産まれたり、忙しいので全員とはいかないけど、その年会える人達で会ってる。昼休みの時みたいに。

大学以降はもうずっと、「お客様」だったかもしれない。
まず、一対一や少人数で会う時は「友人」だけど、
人数が増えれば「お客様」だし、なんなら一対一でも「知人」だろうな。と思ったりもした。

ここで話が冒頭に戻るけれど、

今、私はこの数年で、その「中庭で話せば楽しいし、笑わせてくれる、気さくだし、会えれば嬉しかった」友達のLINEグループにいれてもらっている。

その中の一人と仲良くなって、ボードゲーム会に誘ってもらい、そのまま、また開くかもだからと入れてもらった。

そのLINEグループは週に数回とか1ヶ月に数回とか、ランダムに急にふざけた話題や画像を送り始めたり、グループ通話が発生する。

もう大人なので、みんな仕事やらなんやらで忙しい。

実際全員集まって遊ぶにはそれなりにスケジュール管理とか色々必要だったりする。

だからなんの気なしに「片付けてる間」とか「仕事をやっつけてる間」とかタイトルをつけて誰かが急に開く。

昼休みみたいに通話に入る人もいれば入らない人もいる。

通話始めた人が抜けてもそのまま残ってる人で話たりもする。

今日は「パイナップル酒をつくる」というタイトルで一人が開いた。

最近、授業のために早く寝ていたので通話に入れなかったのだけど、
無理矢理にでも死守した今日という休みにぴったりなタイミングだった。

色々話しながら、一人抜け、一人入り、していった。

主催は金平牛蒡を作り終えた。

最後の話題は

「地球が丸いと思ってんの?」

だった。

「いや、え?」
「義務教育」

「いや、え?あれ、亀と象の上に乗ってると思ってる?」
「んなわけないでしょ。」

「え、ガガーリン…」
「青いとしか言ってないじゃん」

「あ、間違えたわ…誰だっけ…」
「青くはあるけど、丸くはないよ」

「え、じゃあ、どうなってるの?」

「立方体」

「立方体?」

「冗談でも立方体は初めて聞いたわ」
「日本がサイコロの1なら、ブラジルは6」
「子供の頃、白地図、四角かったでしょう」

「いや、でも、先生、丸い地球儀出してきたし」
「子供が怪我しないように面取りしてあるんだよ」
「あれ回して、頭ぶつけたら、ガガガってなるでしょう」
「あれ信じてたら、お刺身見て、魚ってあの形で泳いでるんだって思うのと一緒」
「1を中心に太陽に向かって回ってるんだよ」

「…寒すぎる所が出来ちゃうじゃん」
「それを北極と南極って言うんだよ」

「いやそうだけど。でも、あれ、範囲広くなっちゃう」
「広くなっちゃうっていうか、そうだから」

「えー」
「だって、お星様の絵を描くとき、誰も丸に描かないでしょう。」

「そうだけど」
「五芒星か六芒星を描くでしょう。あれは、立方体を斜めにしてパタンって畳むと六角形になるから、その間から太陽に当たって光が刺すから、星の形になるんだよ。」

「…」

「…天才だ。天才だわこの人。」

「いや、そういうもんだから。」
「俺も、これが作り話だったり、初めて発見した事だったら、こいつ天才だなって思うけど、もう教科書に載ってる事だから。」
「先人の知恵だから、俺が天才ってわけじゃないよ。」

「知らなかった…」
「まぁでも知れてよかったね」

「明日、バーで従姉妹に話すわ」
「従姉妹さんも流石に知ってると思うよ」
「まぁ、今まで知らなかったんだよねってネタにして言ったらいいよ」
「知らなかったのーって引かれるかもだけど。」

「んじゃあ、寝るか」
「おやすみー」
「おやすみー」

割と毎回この調子。

その内一人は今、占いのアカウントを作るのをお手伝ってくれているし、
その内一人は海外旅行に一緒に行ったし
その内二人は徒歩13分の所に引っ越してきたし
その内一人はこのnoteを作るのをすすめてくれた。

私入れて丁度6人。
1組だけカップルが入ってて、男女比が違う「フレンズ」みたいな感じだ。

誰かがレイチェル、モニカ、フィービー、ロス、ジョーイ、チャンドラーに似てるわけでもないけど、会話はずっとシットコムみたい。

年齢も同じくらい。舞台がNYのカフェや部屋じゃなくて、東京のそれぞれの部屋から。

第一話でレイチェルは結婚式から逃げてウェディングドレス姿でこの輪の中に入っていったけど、

私は韓国人の彼氏に振られて、ボロボロの時にこの輪の中に入れてもらった。

ちょっとずつ「お客様」じゃないように感じてきている。

この子達とはシーズン10以上続けばいいなと思う。

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