東日本大震災10年目に雑記
今日は3.11。10年前の今日東日本大震災が起きた。
不思議なもので、この10年の間にあった色んなことの記憶はぼんやりしてきているのに、震災が発生した日とその次の日の事だけは、録画したテレビを見てるように鮮明に思い出せる。人間の脳みそって不思議なもんだ。昨日の昼ご飯なに食べたとかもう怪しいのに。
過去のnoteでも毎年311には何かしら語ったり漫画を載せたりしているので、もはや私が震災に対して新たに言いたいことはあまり無い。過去に感じたことがそのまま今も継続している感じだ。
10年前と比べて変わったことといえば、祖母ふたりと祖父が亡くなった。私よりもよほど元気で健康だった母が動けなくなった。父が療養施設に入った。これくらいだろうか。
私もこの1年でいろいろな薬を毎日服用するようになった。食後に白い薬袋からゴソゴソと錠剤を何粒か取り出し、水と一緒に流し込むたび「いよいよ本当に大人の仲間入りをしたなあ」と思う。10年前は思ってもいなかった地味な変化だ。
自分自身は10年前と変わっていないと思っていても、実際はそんなこともなく刻一刻と変わっていく。
震災直後から明らかに変わったことといえば、私はそれまで地元はつまらなくて刺激がなくて何もないクソど田舎だとしか思っていなかったのだが、一変して「地元大好き!」になったことだろうか。
道の駅めぐりから始まり、地元の各地を見て回るたび地元が好きになった。
新型コロナウイルスが猛威を奮っている今、人が少ない田舎を私はこれ以上無いくらい満喫できていると思う。好きなお笑いライブやらコンサートやらも配信で見られるようになったし、そういった意味では私は東京という華やかで何でもある魅惑の地に自ら出向く必要性は殆ど感じなくなってきている。それが良いか悪いか寂しいことなのかは、今はわからないけれど。何もない地がこんなに素晴らしいなんて、と、年をとったからそんなことを思うんだろうか。
時間とお金があれば私は週末沿岸によく出向いて車で寝泊まりしている。
波の音を聞きながら眠ることが好きだし、早朝トイレなどに起きた時見られるきれいな朝焼けを見るのも好きだ。(うっかり寝過ごすことも多いが)
かつて津波の被害により瓦礫で足の踏み場もなかったという所で一人寝泊まりしたこともあった。同僚からそんな場所でたった一人は怖くない?と聞かれたが、そもそも、亡くなった人と私の間に何かしら縁があったとしたら思うこともあるだろうけれど、何でも無いよそ者がいたずらに怯えることに何の意味があるんだろう。それこそ亡くなった方に失礼なのでは無いだろうか。
どんどん沿岸に出向いて、買い物なんかして、写真なんか撮って、ここは良いところですよと発信するほうがずっと建設的なんじゃなかろうか。生きて、わずかながらでも金稼いでる人間が被災の現場でやれることと言ったら私個人はこれが正解だと思っている。
津波の映像だけでなく大地震の映像も、見ると体が震えて涙が出てくるが、311が近づくたびに忘れないようにとYouTubeなどで見るようにしている。さっきラジオでパーソナリティの方が「被災した当事者よりも、その周辺の人が忘れてはダメだ。語り継いで行かないといけない」と仰っていた。確かにそうかも知れない。
私は内陸にいた人間として、大好きな沿岸がどんなに大変だったか、そして今も大変だということを、事あるごとに言葉に残していきたいと思う。世の中の人が既に過去としてカウントしていることは今もなお続いている現実だということを、どうにかして小さい小さいネットの片隅で発信できればなと。そんな大層なことお前にできるのか?と言われたらまあ、海に遊びに行きましたと呟くくらいが私にできることだけども。
※以下は沿岸で撮った写真の一部です
↑陸前高田の防潮堤。進撃の巨人の壁のようにずっとずっと続く
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