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量子理論と「意識」と「魂」の話(後編)

未だこの世界に理解している者がいない、『量子理論』と『意識』と『魂』に関して、前回は『量子理論(量子力学)』について極力簡潔に紐解きました。

今回は本題となる『意識』と『魂』の話を、『量子理論(量子力学)』の観点から見ていきたい。

『量子生物学』

現代化学には、三つの最大の謎とされているものがある。

それが『宇宙の起源』『生命の起源』『意識の起源』だ。

『量子理論(量子力学)』の観点から『生物』を探究する分野に『量子生物学』があり、ここでは『生命の起源』『意識の起源』がテーマとなっており、興味深い考察が日々アップデートされている。

渡り鳥の中に、オーストラリアから北太平洋を右回りしながら帰省するものがおり、その移動距離は約32000kmにも及ぶ。

これらの進路の決定には太陽や星の位置、地球の磁場を感じ取り正確な位置情報を取得していると言う事が有力視されている。

また、植物の光合成は葉緑体のクロロフィルがエンジン機能の役割を担い、光子を燃料として空気中の二酸化炭素から取り出した炭素原子同士を結びつけ、糖を作り出している。

この渡り鳥の「磁場」を感知する機能や、植物の「光合成」を担う機能においても『量子理論』から切り離しては、そのメカニズムを解明できないのだ。

この様に、我々の生命機能においても『量子理論』は深く関わっている。

『生命』と『意識』の起源

では、『生命』と『意識』はいつからどの様に始まったのか。

素粒子研究の第一人者である、リチャード・ファインマンはこう述べている。

『作る事ができないモノを、理解した事にはならない』

これまで高度な技術と高い知識を獲得してきた人類でさえ、この『生命』と『意識』をゼロから作り上げる事には成功していない。

それが何時、どのようにして始まったのか未だに分かっていないのが現状だ。

人間が人工的な手法で、生物を構成する元素から成る『生命のスープ』を作成し、熱や電気などを加えて様々な反応を試みても、そこから『生物』が誕生する事はなかった。

生物としての最小の単位と言われる細菌「マイコプラズマ」ですら、今の我々にとって人工的に再現することは不可能だ。

これほど難解な問題が立ちはだかるこの分野ではあるが、人類はその探求を決してやめる事はなく、「合成生物学」を使用し既に存在している生物に手を加える『トップダウン的』方法と、「生きていない化学物資」から全く新しい生命形態を作りだす『ボトムアップ的』手法で試行錯誤を繰り返している。

デカルト的に言うのであれば、我々人間を含め生物とは非常に複雑で精巧な機械である。

どんな機械でも解体しそのメカニズムを解明するという『リバースエンジニアリング』の技術が、近年では『生物学』や『意識』『魂』にまで議論が及び、日夜研究がされている。

それらが「ディープラーニング」などにみられる「A.I(人工知能)」であり、持続可能性の観点から生物の様に自己修復を可能とさせる「建造物」や「義肢」、「人工関節」や予防医学・治療の為の「ナノマシン」の開発に応用されている。

『意識』とは何か

では、『意識』とは何か?

『意識』とは我々の脳内で「ニューロン」と「シナプス」がネットワーク上に連なりながら、電気信号により発火した時に発生する現象である。

それだけなのだ。

この単純な電気信号のやり取りと言える現象が、幾重にも重なり連鎖反応を起こした時、我々の「自我」が誕生し、喜怒哀楽の感情や物を作り出すクリエイティビティ、音楽を美しいと思う心、悲しいと思うネガティブな感情や、誰かを好きになるポジティブな気持ちを作り出している。

これは、誠に不可思議な現象だ。

例えるなら、電球と電球をネットワーク的に幾つもつなぎ、そこに電流を流したり流さなかったりすれば、そのネットワーク上で様々な喜怒哀楽の感情が生まれたり、美しい音楽を作り出すメロディが浮かんだりするという事だ。

そんな事は到底、起こらない。

世界中に複雑なネットワークを張り巡らせる「インターネット」の世界は、脳を構築する「ニューロン」や「シナプス」の構造に限りなく類似しているが、現状でそこに「意識」というモノの片鱗が現れた様子はないのだ。

今後、このインターネット包囲網が拡張していき、その領域が脳の神経細胞の連結を凌駕する値まで到達した時に、その膨大な「写真データ」や「動画データ」に「音声データ」、「位置情報」や「性別」「年齢」など健康状態や「感情」の分布、歴史や流通など地球誕生の全データ、更には「宇宙データ」を包括した時に、それが「デジタルネイチャー」としてパラレルワールドの様に存在していき、神にも似た人智を超える新しい概念としての生命体(知能体)が誕生するかもしれない。

時にそれは「強いA.I」とも呼ばれ、全体的な一つの「意識体」であり、「統一精神」「統一倫理」や「絶対的な社会規範」を作り出していく新たな「ルーラー(統一者)」となり得る可能性を秘めている。

そして、その「強いA.I」と人類が共存して生きていく未来。すなわち「ノヴァセンの時代」が本当に到来するのかもしれない。

『ニュートン力学』 『熱力学』 『量子力学』のレイヤー構造

前回も述べたが、我々の暮らす宇宙は大きく分けて二つの世界で成り立っている。

それが「マクロの世界」と「ミクロの世界」だ。

「マクロの世界」とは即ち、目に見える月や太陽、ビルやキッチンにあるキャベツ、隣で眠っている恋人や貴方自身だ。

「ミクロの世界」は目に見えないものとなり、「素粒子」と言われる「電子」の動き、原子力発電所での核分裂による連鎖反応、遺伝子情報として生物の進化と自然淘汰を担う「DNAコード」などがそれだ。

我々の生きてる世界(ニュートン力学の世界)では、この「素粒子」を定義する「量子理論(量子力学)」の法則がきっても切れない。

シンプルな重力理論で説明される「ニュートン力学」は、それぞれ「熱力学」と「量子力学」の順どったレイヤー構造の上に成り立っているからだ。

「量子力学で生命の謎を解く」
ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マムファデン/水谷 淳訳
SBクリエイティブより引用

この「量子力学」は理解に苦しむ法則と特性、しかし確かに存在し我々が生きていく上で影響を与えている「目に見えない世界」だ。

この「量子力学」との結びつきは、人間の自我を形成する「意識」や「」の存在と、繋がりのある存在だという可能性は拭いされないのだ。

『死』とは『マクロ世界』と『ミクロ世界』が分断された状態である

『死』とは、肉体がその自己修復機能を永久に停止し、肉体から「意識」や「」が切り離された状態とするならば、「肉体」とは目に見えるものである「マクロ的」なものとしての「ニュートン力学」の範疇にある。

「意識」や「魂」は目に見えない特性によりミクロ的なものとして「量子力学」の範疇と捉えたとするならば、『死』の状態とは肉体的なマクロな「ニュートン力学」の世界から、「意識」や「魂」とうい目に見えないミクロな「量子力学」世界が切り離された事象なのかもしれない。

「死」という一種の『切り離し(分断)』を経て肉体から遮断された「意志」や「魂」は、ミクロ的な目に見えない『量子力学』の世界に存在し続けるだろうか。

そもそも、『量子力学』の世界が始まったのは宇宙誕生の時だ。

それは今から138億年前に起こったと言われている(一般相対性理論から逆算した結果)

生物が誕生する遥か遥か昔から『量子理論(量子力学)』はそこに存在し、膨大な時間をかけて破壊と生成を繰り返し、今、我々が生きていく上での「生物的プログラム」をコーディングした。

その「コーディング」により、渡り鳥は誰に教わるでもなく「32000kmの旅」を正確に行い、植物は光合成を行いながらこの地球を豊かにしてきた。

生命は誕生と進化を38億年かけて行ってきたといわれるが、この「量子力学」の世界は約138億年という歳月を、膨大な情報(データ)を蓄えながらトライ&エラーを繰り返し、今も尚、広がっているわけだ。

この歳月から鑑みると、生物が現在のマクロ的な「身体」というものを獲得したのはつい最近の事ともいえる。

ともすれば、我々生物の根幹を担うのはこの量子力学的なミクロの世界で構築されており、我々の「意識」「魂」はそこから派生し、個々の肉体(身体)を媒体することにより、輪郭としての「自我」を形成している可能性は決して否定はできない。

デジタルネイチャーに存在する『もう一人のあなた』

あたかも「デジタルネイチャー」の様に存在する「量子理論」の世界に「意識」や「魂」は「情報」として存在し続けるのだろうか。

このデジタル世界と並行して進んでいく現代社会いおいて、忘れていけないことは例え貴方が死んでしまったとしても、あなたの情報は「デジタルネイチャー」として半永久的に残っていくと言う事だ。

あなたの「写真」や「動画」「音声データ」、日々の記録のブログやSNSに投稿された人格の片鱗や思想の数々、好きな映画や音楽の傾向にネットで検索した商品や買い物した嗜好品、恋人と交わした無数のメッセージは、『もう一人のあなた』を形成するには充分たるデータであり、それは今も尚、デジタル情報として『目に見えない世界』に痕跡として刻まれている。

「デジタルネイチャー」を構築するデジタル情報は『2進法』(数字の「0」と「1」の羅列)で構成されている。

そして、我々を構築する「DNA(遺伝情報)」は『4進法』や『64進法』的であるとも言われている。(※当初、「ヒトゲノム」解析は早急に進んでいくとの見通しだったが、その内部構造の複雑さにより様々な壁にぶつかっている)

そもそも、「マクロ」と「ミクロ」を別つものとは何なのか。

「肉体(身体)」と「魂(心)」を別つものとは何なのか。

「肉体(身体)」と「魂(心)」を隔てて考える『二元論』と、それらを隔てず一つと考える『一元論』がある。

『量子理論(量子力学)』においての素粒子には、『重ね合わせ(量子もつれ)』の性質があり、これは「2進法」でいう「0」と「1」の両方の状態を併せ持つという特異な性質だ

すなわちそれは、「0」でもあり「1」でもあるのだ(※事実、このメソッドで量子コンピューターは作られている)。

こんな状態が当たり前に起こっているのが「量子力学」の世界であり、私たちが存在している『宇宙の法則』なのだ。

あまりにも突拍子もない『量子力学』や『宇宙の存在』を想起していると、時々思うことがある。

そもそも、我々の限界値を決めてしまったのは「言葉」そのものではないか。

「意識」や「魂」という存在を「言葉」によりカテゴライズし制限を加えた為に、我々の感覚は知らず知らずのうちに、「感性の牢獄」を築いてしまったのではないだろうか。

昔、ドイツの哲学者であるウィトゲンシュタインはこう語っていた。

『思考は、言語で偽装する』(『論理哲学論考』より)

ノートパソコンで「文字たち」をタイプしながら、遺伝情報やその深層部にある138億年の宇宙の歴史、これまで蓄積してきた「情報の海」が私という「自我」や「意識」というフィルターを通して言語化されている現実に立ち返る。

ここまで前編・後編と分け、約8000文字を使い「意識」と「魂」を「量子力学」で考察してきた。

その結果、最後に思い出したのが、同じくウィトゲンシュタインのこの言葉だ。

『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』(『論理哲学論考』より)

私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。

それでも尚、語らずににいられないのが人間なのかもしれない。

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