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水どう新作はネットを駆使! 藤村Dの止まらないテレビとネット論。

水曜どうでしょうディレクター陣と人生を旅する月刊マガジン『Wednesday Style』。この記事では、チーフディレクター藤村忠寿(藤やん)と、カツセマサヒコ編集長との対談をお届けします。

オレは、テレビが最強だと思ってた。

カツセさん:
早速色々聞かせていただきます。よろしくお願いします。

T木:
よろしくお願いいたします。水曜どうでしょうD陣と人生を旅する月刊マガジン『Wednesday Style』。創刊号で無責任編集を務めてくださるカツセマサヒコさんからいただいたのは「テレビとインターネット」というテーマでした。

藤村:
オレはさ、物事を考える時に、常に基本的なところから考えるのよ。太古の昔まで遡っちゃう。みんなインターネットができたということに対して「これからどうなるのか」ってみんな考えちゃう。じゃなくて「インターネットってそもそもどういうことなんだ」っていうことから考えるわけ。

そうすると、インターネットって通信手段であり、かつエンターテインメントなわけでしょ。じゃあ通信手段ってなんだ、エンターテインメントってなんだっていうと、通信手段というのは「人と会って話そうとする」っていうことが基本にある。で、「エンターテインメントの始まり」ってなんだっていったら、昔にさかのぼって考えれば、きっと親父の話であったり、母親の話だった。まず家族の話だよね。

そしたら次は親戚のおやじの話だよね。「お前マンモス狩る方法わかんねーだろう。実はマンモスって横から攻撃すると狩りやすいんだよ」みたいな。

カツセさん:
話の内容まで原始的になってますね(笑)

藤村:
そう、原始的に考える(笑)。ともかく、そうやって身近な人の話がいわゆるエンターテインメントになっていた時代があった。ここからまた年月が経つと、太鼓叩いたりとか、音を立てたり、つまり音楽とか踊りとかっていうのができていく。で、音楽にしても踊りにしても、人に直接見せるということが当然だったわけだよね。

カツセさん:
パフォーマンスですね。

藤村:
それがずっと続いていたわけじゃん。だけど、この何世紀かの間に録音ができるようになって、遠くの海外のオペラとかが聴けるようになった。

カツセさん:
その場所に実際に行かなくて済むようになったんですね。

藤村:
行かなくて済むようになって、今までと違うものを見れるようになった。自分達は祭りの時に親父の太鼓しか聞いてなかったのに、いきなりイタリアのオペラが聴けるとかね。で、日本のエンターテインメントの中でもそういう変化があって、今までは村のおやじしか知らなかったのが石原裕次郎とか「かっこいい人」が出てくる。

映像にしても、映画が出てきて、その次にテレビが出てくる。テレビが出てきたときに何が変わったかと言うと、イケメンだけじゃなくてお笑いと言うかね、面白い人みたいなのが注目されるようになった。映画の時にもそういう人はいたんだろうけど、テレビで一番身近に感じるようになったのはお笑いの人だと思うんだよね。欽ちゃんとかさ。

日本のテレビの歴史で一番最初に語られるのは「8時だョ!全員集合」だとオレは思うのね。それから「オレたちひょうきん族」。あれがテレビの全盛期と言われているのは今でも間違いない。その全盛期を何がけん引していたかって言うと、面白いおじさん達と言うか、面白い・楽しい・笑えるっていう要素。

カツセさん:
「イケメン」ではない。

藤村:
そう、オレ的にはイケメンは石原裕次郎が最高潮だったわけ。いくらキムタクでも、石原裕次郎は越えられないと思う。最初に人間をひきつけたのはイケメンなんだけど、長生きしたのは、「イケメンじゃないけど面白い」っていう人。

で、オレはそういう面白い人たちがいる「テレビ」っていうメディアが最強だと思ってた。けど今、テレビっていうメディアが凋落している。オレだってテレビ観ないもん。

カツセさん:
藤村さんもテレビをご覧にならないんですか。

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