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令和時代に愛されるお店のキャラを考えてみた。

どうも。
演劇の脚本を書いたり、演出をしたりの藤原です。

COMEMOのテーマ企画で、「令和時代に求められるお店の役割」を考えるというものがあったので、
「小売り・外食の店舗が減少に転じるなか、求められるのはどんなお店でしょうか?」という問に、
演劇の人目線で、妄想を含ませつつ書いてみたいと思います。

小売・外食を経営している法人を、ある“法人という人格”(=キャラ)だと考えたとき、これまでのモテてきたキャラって、“カッコイ/可愛い”、“強い”、“賢い”とか、「能力を持っている」タイプだったんじゃないか、と思うんです。「美味しい」「質が良い」とか、「コストパフォーマンスがいい」とか。分かりやすいスペックがあるもの。

もちろん、お金を払うんだから、質がいいにこしたことはないし、金額のそれ相当、あるいは払った以上のものが欲しいと思ってしまいますが、
令和時代のモテるキャラって、「ほっとけない」キャラじゃないかな、というのが私の(勝手な)推論です。

オロナイン軟膏の知り100の広告プロジェクトが始まったのが2013年。遺伝子解析の Genequestが設立されたのも2013年。この5年ほどで、「体験」を求めたり、自分の「ルーツ」を探したくなったり、人々が“自分の存在の確かさ”を実感したいという欲求を感じるシーンが増えました。

一方、宣伝広告に関しては、SHARPさんを代表に企業twitterの中の人など、“つっこみどころ”や“ゆるさ”があるものが受け入れられるようになりました。“つっこみ”が入れられるということは、自分の存在が介入する隙間がある、ということです。

これからの時代、ますます求められるのは、完璧なものを提供されるのではなく、自分がその場所にとって、“自分の存在が必要”と感じるお店なんじゃないか、と思うのです。
「全然お客さんが来ないので辛い」というtweetがバズってお客さんが殺到する、という光景もしばしば見られますが(ああいう店ってその後どうなってるんでしょう。)、こういうのも、自分の役割への欲望なのじゃないかと思います。

キャラクターで言うと、
「この人には、自分がおらんとあかんな」と思わせてしまうような。
そういう人、いるじゃないですか。ほっとけないタイプ。
愛嬌はあるのだけど、ちょっと抜けていて、これお願いしてもいいかな?と周りに相談して、まわりが「仕方ないなあ〜人肌ぬいでやるか〜」となっちゃう人。
あるいは、「この人の良さは、自分じゃないとわからへんねん」と思わせてしまうような。

お店を擬人化して考えてみました。
ex) 完璧じゃない、隙のあるお店(お客さんが完成させていく)
店太郎「あのう、これってどうやるんだっけ……?」
客子「んもう、しょうがないなあ、ちょっとまってね。これはこうやって……」
店太郎「うわあ、すごい……ほんとありがとう!客子さんのおかげで、素敵になった……!」
客子「……また、来るからね。」

ex) エッジのきいたお店(自分しか理解できないだろうから行ってやらねば……)
店助「僕は、プラナリアを飼っていて囲碁が趣味でタロイモを主食にしている人としかつるまないんです。それ以外の人は、ほんと、ごめんなさい。」
客太(なんだって!俺と一緒のやつが!)
客美(それ、わたししか……!)

価値観が多様化してきていることに加え、他者の生活がSNSで可視化され、自分と他者を比較することが増えたからなのでしょうか、自分の役割、存在意義を求めている、それも切迫感をもって求めている人が増えているように感じます。

ただクオリティが低いだけだと人は寄って来ないと思いますが、
自分がそこにいる意味があるんだ、と思わせてくれるような、
愛嬌がある“ほっとけない”キャラクターのお店がこれから求められるのでは、と予測しています。

どうでしょうか。

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