見出し画像

People In The Box 『Camera Obscura』 小論

初出: 2023/5/10 「あなたのノイズ、わたしのミュージック。」


People In The Box 『Camera Obscura』



 音楽を止めるのは、他でもないあなただ。


 現実をもとに書き起こされた詞世界で、役は演じられる。現実にて鳴った音が変換された録音で、振動は再現される。言葉を歌うのであればなおのことであるが、音楽作品には複数の軸によって織られる、バーチャル的な特性が付随する。
 わざわざこれを示したのは、その特性に着目したときあらわれてくる像が、幾度再現されたとしても擦り切れ褪せてしまわない美しさを保つだろうと言わしめるようであること、このことこそが本作品を成立させる最低限の要件であるためだ。

 『Camera Obscura』の仮想は何度立ち上げられたって美しい。
 しかし、本作品はただただお望み通りを映し出す幻燈としてあるわけではないだろう。そうなれるポテンシャルだって秘めていながらにして(詳解しないが、そうなれる作品が悪いものだと言うつもりは毛頭ない)。


 最終曲"カセットテープ"の演奏が止まぬうちに、1曲目"DPPLGNGR"の冒頭が差し込まれ、そして唐突に音が切れる。けして似た雰囲気の2曲ではないため、聞き手からしたら突如割り込んできた音によって中空へ放られたようにすら感じられるのではないか。
 本作品はループ再生を想定しているどころか、なかば強いてきているようにすら思える。残された不安を解消する手段として最も手っ取り早いのが、"DPPLGNGR"から始まる『Camera Obscura』を続けて再生することであるためだ。繰り返せば繰り返すだけーー望めば望むだけ、美しい作品世界を漂っていられる。
 ただ、勇気と決断を要求されるものの、もうひとつの手段が残されている。プレーヤーを停止させ、おのれが生きている現実世界に帰ることだ。


 「カメラ」のモチーフも歌詞中に登場する"水晶体に漂う世界"。本曲がおそらく『Camera Obscura』のクライマックスであろう。
 複数人の声がユニゾンして重なり、繰り返されるコーラス。日常生活ではなかなかお耳にかかれない、強い陽射しを思わせる金属音の断続。臓器の底から響かされる、図太く跳ねるリズム。「視たい未来は近いみたい ほらね」と呼びかけてくる者に手を引かれ、意識が仮想の楽園に取り巻かれる。とても心の躍る体感をもたらしてくれる。
 しかし曲の後半、詞の主体は「視線を感じて振り返」り、楽園を創り出している者の声を聞いてしまう。その楽園に存在していない者の声を。
 そして聞き手はそのやりとりを、二者とはまた別の次元から観測することとなる。そのために、直後戻ってくる楽園の音楽にもわたしたちは最早当初の楽しさを見出せず、虚ろいを感じてしまい立ち尽くすのだ。


 本作品にはこの他にも、作り手が「現実」をおそらく意図的に感じさせてきているのだろうと思わされるポイントが設けられている。仮想世界を組み上げた人々の醒めたままの眼が「現実」のわたしたちを見据えてくる気配を感じたとき、『Camera Obscura』の美しい仮想は美しいまま、居心地の良い場所ではなくなる。
 わたしたちの生きる現実に音楽は成り得ないと、わたしたちが眼を醒ます。ほんとうに叶う望みはそれだけだ。


 まなざしの原点まで伸ばした指で瞼を閉ざし、部屋を出ること。わたしたちはそれを現実の選択肢であると知れる。


🦭 🐕