1999
僕は18の誕生日、なんとも言えない不安に駆られた。きっとこの日が薄暮、長い夜の始まりなのではないか。そう思ったとき人生の第1章が終わった気がして短い人生に対してなんとも言えない焦りさえ感じていた。まるで試験前の徹夜している時のような。
ノストラダムスが予言した年に生まれ、
ゆとり教育転換で突然詰め込まれ、
リーマンショックで一気に貧しい生活に。
東日本大震災で家が傾き
それに伴う津波で友人や思い出の場所をいくつも失い、原発事故で外で活動できず。
IoTが爆発的に進歩し第4次産業革命がおき。
令和台風では家が浸水し自動車が廃車。
そしてCOVID-19による生活の変化。
そして今22歳。
たった22年しか生きていないのに中々濃密であっという間だった。色んな災難に遭う中で悔いることも沢山あったが、何も無くても悔いなくやることは難しい。でもその時やりたいことが出来ていたならそれでいいじゃないかという気持ちにはどうしてもなれなかったしそんな過去がなんとなく恥ずかしく後ろめたくなって。この先の闇に目を向けることが出来なかった。あーゆとり世代ね。あー悟り世代ね。あーよくわかんないZ世代ね。世の中そんな目で見られている気がして。上からの圧力から逃げたくて上の世代と社会情勢について考えた。
1つ上の世代は震災で中学入学が送れたり、コロナ禍で初めての就活だったり、もっと大変だっただろうと思う。それでも頑張ってる先輩たちを見てなんか虚しくなった。
両親は第2次ベビーブーム、オイルショック生まれ、バブル崩壊後の就職氷河期時代の就活生。それでも何とか今まで生きている。
そうか、若ければなんでも出来るんだ。頑張ろう。先輩たちにできて自分ができないわけがない。自分の人生は自分が監督であり自分が主人公。そんなエネルギーがあれば苦労はしない。
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