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桜が咲いている風景を想像して

 今年も多くのほだ木を用意して、シイタケの菌打ちを行いました。ほだ木の調達は、うちの山だけではまかなえないので、父の友人の林業家の方に随分と協力してもらいました。人間関係に感謝しながらの山づくり、原木シイタケ栽培です。

 今年の菌打ちはほとんど終わっていましたが、今日は残りわずかとなっていた菌をほだ木に打ち込みました。


 さて、桜の季節です。うちの山の隣は、私たちの山の先生の山です。そこには何本もの桜の木があります。この桜は10年ほど前に山の先生が植えたものです。植樹の時は、私たちもお手伝いさせていただきました。

山に桜を植える
1、共同作業とただ働きの大切さ
2、未来の風景を想像する

1、共同作業とただ働きの大切さ
 山の先生は、山づくりには境界線を設けてはいけないという考えを持っています。ここまでが私の山で、ここからがあなたの山です。といったように所有権を前提に境界線を設けていては良い山は作れないということです。もちろん勝手に人の山に手を入れるということではなく、隣の山の所有者とも信頼関係を築きながら、できれば共同作業を行っていく方がいいという考え方です。

 私たちは山の先生の山づくりの作業に参加し、また、山の先生は私たちの山づくりに協力してくれます。私たちの山づくりは、お互いの山で協力し合って共同作業をすることが多いというの特徴の一つです。そして、自分達の働きの対価を求めたり、お金で清算するということは基本的にありません。ただ働きで成り立っています。

 このことは、とても大切な考え方だと思っています。「共同作業とただ働き」というのが山の先生と私たちの関係性です。もちろん、全ての人にこれが当てはまるわけではありませんが、山の先生と私たちの考え方と信頼関係から生まれた形です。

 例えば、自分たちの働いたお金を請求することがないし、そもそもお金に換算するつもりがないので、「あれだけ私たちが手伝ってあげたのに何もないの?」とか、「お金をもらわないのでこの程度でしか働きません。」といった文句や愚痴が出ることが全くありません。山の先生も同じで、私たちに惜しみなくいろんな知識を教えてくれたり、私たちの山づくりの共同作業に参加してくれますが、何か見返りを求められることは一切ありません。

 お金が発生すると損か得かの計算が入りますが、そういう計算が入らないというのが、「共同作業とただ働き。」の特徴です。かといって、ボランティア精神が前面に出ているかというと、そうでもありません。そこにあるのは「共に良い山をつくっていきたい。」という思いです。

 そして、私たちはこの「共同作業とただ働き」で多くのことを学ばせていただきます。お金をもらえないから働かないという選択をしていたら、私たちは学ぶ機会を得られなかったと思います。「共同作業とただ働き」は学びの場だと思っています。その考え方に基づいて桜を植える作業に参加しました。

2、未来の風景を想像する
 その当時、山の先生は70歳を超えていました。一方で、私は30代。残りの自分の人生とか死について考えることはあまりありませんでした。そんな私たちに山の先生は、「自分が山に桜を植えても、生きている間にこの桜が大きく育って満開になる風景は観ることができないかもしれない。それでも、僕はこの桜が大きく育って満開なった美しい風景を想像しながら死んでいくことができる。」と私たちに語ってくれました。

 ”桜が大きく育って満開になった風景を想像しながら死んでいく”という、その考えを聞いて、何とも言えない時の流れの儚さを感じると同時に、人の思いは時空を超えるものかもしれない。という心が選択されたような気持になったのを覚えています。未来の風景を想像する。それは、山づくりにとってとても大切なことです。そして、それは、自分の命の時間軸だけ考えるのではなく、植物の命の時間軸という視点も加えて考えることが大切なのだと感じています。

 40代になった私は、残りの人生を30代のころよりは考えるようになったような気がします。そして、その時の山の先生の言葉の意味がより理解できるようになってきたと思います。

 当時70代であった山の先生は80歳を超えてもなお、元気に山で作業をしています。桜も随分大きくなりました。しかし、桜の成長は、ここで止まることなく、もっともっと成長し、私たち人間の生命の時間軸を超えて、次の世代につながっていくのだと思います。

植物の命の長さで考える
 山づくりは人間社会の理論を当てはめるとうまくいかないことも出てきます。お金、建前、損得、人間関係など私たちを縛るものはたくさんあります。そういう意味では、「共同作業とただ働き」という人間社会の仕組みと少し違う視点で取り組んでみると様々な気づきがあります。また、私たち人間の命の長さでだけではなく、植物の命を視点から考えてみることも大切だと考えています。その視点が加われば、私たちは未来の風景を想像することができるのだと思います。

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